カーザ・ミーア
2、史上最も重い竜
このドラゴルーナで最も太った竜の体重はどれほどあるのだろう。
世界で最も重い生き物として有名なシロナガスクジラの体重が200tと言われているので、その位だろうか…否、そんな質量では済まされないのは間違いない。
少なくとも私、ネージュ=エトワールの体重は、200t程度なんて軽い数値では済まない程に太っている自覚があった。
「はむっ…ごく…もしゃっ…ごくり…」
口から鳴り響く絶え間ない咀嚼音。
それは、私の口から発せられている音。
規格外の巨体を維持するためには、常に口へ何か食べ物を運ばなければならない。
最早、息を吸うのと同じ感覚で食べ物を口へと運び続けている。
「ごくっ…けふっ…」
何百回目の咀嚼音だったろうか、数えきれない程の咀嚼の後、私の巨体の彼方此方の肉の隙間には、丸めて投げ捨てられた特大の包装用の紙が転がり、重々しい肉ヒダの間で潰されている。
私は、そんな肉ヒダに挟まれたの紙くずを気にもしない。
それは、陣術…魔法と科学を合わせた魔法技術が、あちらこちらに散らばったゴミを勝手に回収し、処理してくれるからだった。
絶えず胃を刺激し続ける空腹感を和らげる為、私は新しい包みを広げると表れたベクタバーガーを口へと運ぼうとしていたその時…
「貴女がエトワール様ですね?長らくお待たせしてしまい、誠に申し訳ございません」
私の身体の下から声が聞こえてくる。
どうやら、もう出航の準備が出来たみたいだ。
それで、私がこれから乗る予定の船の船員が、わざわざ私を呼びに来てくれたらしい。
肥満体国としても知られるベクタ大陸でも、ひと際大きな私の身体は目立ってしまから、簡単に見つけ出す事が出来たのかしら?
そう勘ぐってしまった私の頬が恥ずかしさに赤く染まる。
いや…実際に巨体なので、空港の搭乗口どころか、空港内にも入りきらない私は、空港の外にある肉塊竜専用の待合所で、ベクタの一般的な肉塊竜なら何人も入れる空間の殆どを占拠しないと、ゴディヴァを待つことが出来なかったのだから…
私は、収納術式から炭酸飲料を取り出し、慌てて口に含んでいる食べ物と一緒に流し込みながら、通信用の陣術回路を起動させ声の主へと回線を繋ぐ。
こうでもしないと、20メートル近く体高のあって…そうでなくとも声帯が脂肪で機能していない私には、他の竜との会話もままならない。
「けふっ…全然待ってませんから大丈夫…くぷっ…です。寧ろ、私が無理を言ってゴディヴァに乗せて貰おうとして、ごめんなさいとナイルさんに伝えて頂けるかしら…?」
炭酸の効いた飲み物を飲んだ宿命か、喉の奥から溢れるおくびが船員さんにまで聴こえない様になるべく小さく吐き出そうと意識しながら、私は自分の身体の下で待ってくれている竜へと声を掛ける。
船に乗り込んだ後、直接会って言えるのならば、ナイルさんには私から直接お礼を言いたいのだけれど、なんせ私はこの巨体…
下手にこの巨体を動かして、ナイルさんを探そうと何てしたら、空飛ぶ商業都市とまで言われる彼の巨大な飛空船だとしても耐えられるビジョンが見えない…
例えば、商品を圧し潰してしまったり…
船内にヒビを入れてしまったり…
果ては上空で私の重さで傾いた船が姿勢を崩して…
あぁ…そんな事になったらどうしよう…
そんな不安から、船内では下手に動くことも出来ないだろう…
多忙なナイルさんから会いに来てくれる確立を考えると、無理を言ってこの巨体を乗せて貰っている身だが、どうしてもお礼は人に頼むしかない…
「分かりました。では、船内まで案内しますので…付いて来れますか?」
船員さんが私の頼みを了承してくたのに少しばかり安心して胸を撫でおろす。
と言っても、手も腕も、もう何年も前に脇や胸の肉に埋もれて動かせなくなっちゃっているから、本当に撫でおろすことは出来ないのだけれど…
私の身体の下に居る船員が、船の搭乗口へと向かって歩き出す。
搭乗口…と言っても、私の巨体では、ベクタ竜用は当然として、肉塊竜用の搭乗口ですら狭くて入れないし、仮にこの巨体を無理やりねじ込んででも入ろうとしたら、肉塊竜専用の大きな搭乗口の穴にその何倍もの大穴を開けてしまうって妙な自信はあった。
いや…そんな自信は要らないのだけれど…
なので、今回特別に私の為に用意してくれた別の入り口から、私はゴディヴァへ乗り込むことになったのだが…
それにしても…あれくらいの大きさで肉塊竜か…
フィードロット暮らしが長かったせいか、どうしてもあの程度の大きさでは、肉塊どころか痩せている竜にしか見えない。
もし仮に、搭乗口に並んでいる肉塊竜の一人がフィードロットに来たら、あまりの小ささに周囲の竜に押しつぶされてしまうのではないだろうかと心配になる。
そんな細身の竜が、フィードロットを出たら肉塊と呼ばれてしまうだなんて…
なら、私は何と呼称すれば良いのだろうか…
そんな事を考えている内に船員さんは私より一足先に滑走路へと歩き始めながら、時折こちらの様子を伺うように顔を向けていた。
その表情は、この山の様な巨体が、本当に付いて来れるのかと心配そうで…
確かに、足すら地面から何メートルも離れ、身体を振るって動かそうとしても全身の肉が揺れているだけの光景しか想像できない肉の塊が、移動できるのか不安だろう。
もし、立場が逆だったら私も同じ表情をしていると思う。
だけれども、私には自分の為に自分で設計した陣術がある。
私の体重を完全に無くすことは現存する陣術回路では不可能だが、それでもある程度は体重を軽く出来るのだからと、私は自分の身体中の肉に挟みこんだ陣術回路を起動させた。
ふわりと身体が軽くなっていく感覚。
私が幼い頃から愛用している旧式の眼鏡型陣術回路に表示された自分のステータスの内、最初は重過ぎてエラーと表示されていた体重の値がみるみると減っていく。
本当に痩せた訳では無いので、体積的には変わっていないのだけれど、減っていく数値と身体が軽くなっていく感触は気分が良かった。
だが、その数値は、私がフィードロット市での生活に馴染んで来た頃の体重辺りまで減少してから、徐々に数値の減りが悪くなっていく…
「あ、あれ…故障かしら…?今朝もメンテナンスしたばかりなのに!?」
思わず叫んでしまったので、私の声帯補助術式から突然発せられた大音量に前をゆっくりと歩いていた船員さんの足が止まる。
「どうされましたか!?」
船員さんが慌てた様子で私の方を振り返る。
「い、いえ…ちょっと陣術の調子が悪いみたいで…ちょっとだけ待って貰っても良いかしら…?」
そう告げた私は、自身の重力を制御している回路の様子を慌てて確認し始める。
何かしら不具合があるのだろうと、眼鏡に写っているステータスを確認するも、どれも異常は見当たらない。
ただ、眼鏡に意識を集中して、私の肉に挟まれた丸い球体の陣術回路を拡大して表示すると、その周囲は赤熱しており今にも火花が散りそうな様子が見えた。
「あぁ…成程ね…」
その様子を見た私は、直ぐに陣術の不具合を特定する。
いや、正確には不具合ですらない。
原因は単なる過負荷。
あまりの私の重さに、設定していた質量まで重力を減らすことが出来ていないのだ。
それでも、組み込まれた回路によって設定していた質量まで陣術が稼働し続けた結果、限界以上の過負荷で回路が焼ききれそうになってるらしい。
「あら…今の私ってそんなに…重いのかしら…?」
そう言えば、前に反重力術式を使ったのっていつだったかしら…?
フィードロットで暮らしてる間は、高度に自動化された陣術が身の回りの世話をしてくれたし身体を動かす必要も、特に用事が無ければフィードロットを出る必要も無かったから、もう長い間、反重力術式なんて、使っていなかった気がする…
あれ…そう考えると私が最後にフィードロットを出たのって、どれくらい前なのかしら…?
最後に出たのが…ナイルさんとの会食の為にセイズモバロ市へと出かけたのだから…
もう随分と昔になるのかしらね…
そう考えると、反重力術式の設定なんてそれ以来全然していなかったのよね…
その間、当然私の体重は増えていたわけで…
「まぁ…早めに気が付けて良かった…と考えるべき…かしら…」
後数分気が付くのに遅れていたら、重力を制御している全ての術式が過負荷で焼き切れ効果を失い、私は自分でも、もう把握しきれていない全体重を地面へと叩きつけていた事になっていたのだから。
そうなれば、地面に叩きつけられた衝撃によって空港の建物の彼方此方には亀裂が入り、高い建物は揺れで倒壊してしまい、空港の近くにある海からは津波が押し寄せ…
明日のニュースの見出しになる程度には大惨事になっていた…と思う。
そんな不安から私は陣術の設定を慌てて書き換え始める。
現在の自分の体重はもう分からないけれど、以前の私がした設定では、約700tの竜を想定した物だった筈。
そこから、稼働中は本来の十分の一体重…
つまり70t付近まで質量を減らせるはずだったけど、135tまで質量を減らせたところで、過負荷で動きが鈍くなったのだから…
そうね…そうなると…
あ…あまり信じたくないのだけれども…私の体重って…つまり…
脳内で陣術に打ち込むための計算をしていると、少し信じたくない数値が浮かんできてしまった。
そんな、まさかね…
歴史上で最も重い竜達…それだって大半が誇張されて伝わってきていた情報だった筈…
そんな竜たちだってこんなには…
「待たせちゃってごめんなさい。準備ができたから行きましょうか」
先程、設定し直した重力計算を頭の隅に避けながら、案内を再開した船員さんの後ろを反重力制御で出来るだけ軽くした身体を移動術式によって動かし、地面を擦りながら移動を始め、その片手間で陣術からベクタバーガーを取り出しては口に含み、含んだそれを炭酸飲料で飲み下す。
その歩み…と言うより、蛇の歩みの様な移動は鈍足を極めていて、移動には何十分もの時間を要したのだけれど、私は何とか空港外の肉塊竜専用の待合場所から、建造されたばかりの飛空艇を飛行場へと運ぶための搬入口へと辿り着くことが出来た。
その巨大なゲートが開くと、私はその入口に自分の肉を押し込めるように詰めて入っていく。
本来の体重ならば、鉄で出来たゲートに私が無理やり身体をねじ込んだら、音を立ててひしゃげ、へし折れてしまうのだろうけれど、今は陣術によって身体を軽くしている身なので、柔らかな綿あめを手で掴むが如く、私の全身の脂肪はゆるゆるゲートの隙間を変形するスライムの様に通り抜け、飛行場へと侵入することが出来たのだった。
それにしても、同じベクタでも、フィードロットとそれ以外ではこんなにも物の耐久力に違いがあるだなんて…
いや、フィードロットの耐久性が肉塊竜以上の肉塊竜基準なので、同じに考えてしまう方がおかしいのは分かっているのだろうけれど…
それでも、体重を限界まで軽くしている筈なのに立ち止まっているとズブズブと底なし沼のように全身が沈み込んでいってしまうコンクリート製の地面といい、先程の鉄製のゲートといい、同じベクタでも、こちらはあまりにも脆過ぎると思ってしまう…
こんなに彼方此方が脆いのでは、疲れた時に寄りかかって休憩をする事も難しい…
だけれど、重力制御のお陰で、普段から感じ続けている息切れ以外の苦しさや疲労は無かったし、私の巨体故の周囲への被害も、這って移動したことでコンクリートで舗装されていた滑走路に出来てしまった深く巨大な溝以外には周囲の物を破壊することもなく、無事にこれから私の乗る予定の飛空艇ゴディヴァの付近まで到着する事ができた。
ゴディヴァ付近まで到着した私が最初に思った事は、ゴディヴァってこんなに小さかったかしらと言う感覚だった。
最後にそれを見た時より、随分と小さく感じてしまうゴディヴァは、近づく度にその感覚が強くなっていく。
ルーナ中でも屈指の巨大飛空艇だったはずだけど…
こんなに小さかったかしら…
もしかして、別の船だったり…?
まさかね…
なんと言うか…並んでみると、私の体高とゴディヴァの甲板までの高さが同じに見える…
全体的な横や縦の長さは、流石に私よりも巨大なのだが、こんなに薄い船体に私が乗る事は出来るのかしら…?
無理を言って乗せて貰う身で失礼極まりないとは思うののだが、私が乗り込んだ時に、私が身を置いた場所を軸として、船体が真っ二つになってしまうかも…
そんな不安に駆られながら、私がゴディヴァを見つめていたその時だった。
到着を待っていた船員たちが巨大なスロープから降りてくると、私の身体の周りに並び、一言断ると、私の身体の下へと分厚い布を何重にも重ねた物を敷き詰めていく。
私も、それを重力制御を駆使して出来るだけ身体を軽くして手伝う。
そして、私の身体の下に十分に布が挟み込まれたのを船員たちが確認し終えると、大きく広げられた布の端に何本もの鎖を束ねて強度を上げたロープを縛り付け始めたのだった。
船員たちはクレーンでこの巨体を甲板まで運ぼうと言っていた。
私がスロープを使える身体ならば、ここまでする必要は無かったのだが、如何せん、この重い身体では、私がスロープを這った瞬間にスロープが重さに耐えきれずにへし折れてしまうだろう…
正直、クレーンですらへし折ってしまうのではないかと不安なので、私は出来るだけ身体を軽くしながら、大型搬入用のクレーンの荷重が陣術で軽くした私の重さに耐えられることを必死に祈る。
鎖を束ねて強度を上げたロープが上へと引っ張られるた度、布が全身の肉を包み込んでいく。
それをもし私が外から見ていたとしたら、巨大な肉饅頭を作っている様にしか見えないのかしら…
そんな皮に包まれた肉が私と言う事実が恥ずかしいが、その思いの他にフィードロットで作られた超巨大な肉饅頭が食べたいなぁ…なんて呑気なことを思ってしまう。
はぁ…お腹空いたなぁ…
それもそうか…吊り上げられてる間は何も食べられないのだから…
私がさっきまで食べ続けていたベクタバーガーは美味しいのだが、フィードロット市で作られた同じ物と比べるとセイズモバロ市で買い込んそれは、どうしても一つ一つの量が少ない…
正直、フィードロットでは子竜でもこんな量では幾ら食べても満腹にならないと思う。
食べてる間は、空腹感も紛れるが、あんな量ではあっと言う間に消化されてまた空腹感が襲ってきてしまう。
私の重量からミチミチと音を立てるクレーンは、予想していたよりもあっけなく私の身体を宙へと浮き上がらせてくれた。
それは非常に有り難いのだけれど、上に引っ張られるたびに幾多にも束ねられた鎖が私の全身に食い込んでいって…
あぁ…肉饅頭の次は叉焼か…恥ずかしい…
恥ずかしさとは裏腹に、食べ物の事を考えると自然と覚える空腹感にお腹からぐぅぐぅと情けない音が出てしまう。
布越しでさえ轟音を響かせている肉塊竜は、吊り上げている人達から見たら、滑稽以外の何物でもないだろうな…
鳴り止まないお腹の怒号をもって訴える空腹感と、食い込む鎖と布による全身の圧迫感、それと合わさる空腹感は徐々に強まって私を苦しめる。
特に酷いのは空腹感で、それは僅かな間だったが、日がな一日、口に何かを運び続けていた私にとって、数秒の空腹だって耐えられない。
その苦しさはまだ、鎖の食い込む痛みの方がましだと思ってしまう程に…
とは言え、それは肉厚過ぎて痛みすら伝わらない程に肥えていた自身の脂肪のお陰なのだとは、分かっているのだけれど…
「あぁ…お腹減ったぁ…」
無事に甲板に降ろされ、ベクタバーガーの包みを剥がすかのように私の周りから布が剥がされていく。
だけれど、もう数分間も何も食べていなかった私は、そんな事は気に留めずに布が取れて陣術が使えるようになると、収納術式からベクタバーガーの包みを一つ取り出し、先程の自身の身体がそうされていたのと同様に包みを剥がすと、一口でそれを全て口に入れて雑に咀嚼し飲み込んだ。
少し、下品かもしれないけれど、お腹が空いて仕方がないのだもの…
あぁ…恥ずかしいから、そんなにガッツいてる私を見ないで…
「くぷっ…ごくっ…もきゅ…ごくっ…げふっ…ごくっ…」
周囲で自身の搬入準備をしてくれている船員達をなるべく眼中に入れずに私は、食欲に任せてまた一つと取り出しては飲み込んでいく。
「けふっ…ふぅ…」
陣術によって圧縮し、特殊な空間に保管していた食べ物の包みを数分の内に数百個単位で胃に収めた私は、少しだけ落ち着いた空腹感に小さなおくびを吐き出す。
だけれど、正直こんなものでは全然足りない…
クレーンで運ばれていた数分間にも及ぶ長い時間、私は何も食べていなかったのだから、陣術に収めて置ける僅かな量なんて腹の足しにもならない。
普通の竜だって、スナック菓子の一欠けらで空腹を我慢しろと言われて我慢できないでしょう?
私の今感じている空腹感は、ベクタのセイズモバロで売られている一般的なサイズのジャンクフードでは、絶対に満たされないものだった。
確かに、ベクタの食事の量は普通の大陸から比べたら多いのでしょうけれど、フィードロットの料理の量に比べたら雀の涙の量としか思えない。
出来る限り買い込んでいたつもりだったけど、もう底が尽き掛けていたジャンクフードの量を確認すると、溜息しか出ない。
ゴディヴァ内では、私の満足できるだけの食事が出るのかしら…
はぁ…事前に頼んだ時、もっと多くの食料をナイルさんに頼んでおけば良かった…
ナイルさんなら、そのくらいは気を利かせて用意してくれているだろうし、事前に私の食費を補っても余りあるだけの大金を彼に渡していたから大丈夫だとは思うのだけれど…
「ようこそ。我が船ゴディヴァへ!歓迎しますエトワールさん!」
私がそんな事を考えていると、私の陣術に少し離れた位置から声が届く。
この声は、ナイルさんかしら?
以前より少しばかり太ったのだろう、声が籠って聞こえるが、陣術の補助なしでは満足に会話も出来ない私と比べるのは失礼でしょうね…
首や肩の肉が盛り上がり顔が覆われていて、周囲の様子を確認できない私が、眼鏡に意識を集中し陣術を起動させ周囲を見渡せば、私の胸の下に立って声を掛けてくれていたのは、何段にも重なった蛇腹を揺らしながら、こちらに笑顔を向ける痩せたスカラブ黄土竜…ナイルさんだろう。
以前の会食の時より、少しばかり健康的な見た目になったのではないかしら?
前に会った時は…少しばかり肉は付いているようだが、彼の生まれがスカラブ諸島という事もあってか、栄養が足りていないのか、ガリガリに痩せていて、正直心配に思えた程だった。
その時の私は心配のあまり思わず、忙しさのあまり食事がちゃんと摂れていないのですか?
そう聞いてしまったのを覚えている。
そんな問いにナイルさんは一瞬目を丸くして固まった後。
「え、えぇ…いつもこれぐらい食べておりまして…船員の皆には食べ過ぎだと言われるのですが…エトワールさんは、そうおっしゃってくれるのですか…いやはや…皆がエトワールさんみたいに心配してくれると、私も好きなだけ食べられるのですが…」
そう言い終えると、恥ずかしそうな表情を浮かべて彼は言葉を続けていた。
「こう見えて最近また太ってしまって、今確か6700kgでしたか…他の大陸に行くと太り過ぎだと言われることが多いので、エトワールさんみたいに言ってくれるのは、少しばかり新鮮で…嬉しいものですね」
そう語るナイルさんに私は反射的に…痩せすぎですから、もっと食べてくださいね…そう言ってしまったのを覚えている。
勿論、私の感覚がフィードロットに長く暮らしていた弊害故に少しズレているという自覚はあるのだけれど、どうしても長い間あそこで暮らしていると、他の大陸で暮らしている平均的な体型の竜がどうしてもやせ細って見えてきてしまうのよね…
そんな以前より、少しばかり丸みの増しているようにも見えなくもないナイルさんの隣にもう一人スカラブ黄土竜の男の子が立っているのに気が付いた。
「こんにちは。ナイルさん。無理を言って申し訳ないのですが、これから暫くの間よろしくお願いしますね」
陣術で声を発信しながら、眼鏡上に写された彼の顔に向け、直接会えて良かったと私は笑みを向ける。
ナイルさんも、陣術によって表示されたホログラムで私の顔を見ているのだろう。
画面越しに笑顔を返してくれていた。
「さて、事前にも伝えておいたのですが…こちらとしても申し訳ないとは思うのですが、エトワールさんが入れる客室が無いため、旅行中は甲板の上で過ごすことになってしまいますが、宜しいですかな?」
「そうね…私はちょっと大きすぎるから…中々場所をって考えると見つかりませんものね」
フィードロットで暮らしている竜は、あまりにも身体が大きくなる速度が早いので、家を改築する速度が間に合わず、基本的に家を持たない。
なので、甲板で野ざらしにされる事に関しては、陣術で作った防御壁で雨風を凌げるので問題ないから構わなかった。
「ありがとうございます。それでは、この旅行中のエトワール様の付き竜になるアヴニールの紹介をさせて頂いてもよろしいですかな?」
そう言って、ナイルさんは自身の隣に立っている、私の巨体を見ながら口をあんぐりと空けていたスカラブ黄土竜の男の子の背をそっと押し出した。
「わ、私が…これからエトワール様の旅行中の付き竜をさせて頂きますアドレ=アヴニールです…!拙い所が多いかと思いますが、どうかよろしくお願いします!」
まだ幼さの残る竜が、私を見上げながら挨拶してくれる。
その…なんと言うか、真面目なのだけれども、まるで嫁入り前の子が頑張りますと言っているような姿は少しだけ面白く、私の口元には自然と笑みが浮かんでしまう。
だけれども、その様子は私の巨体故の威圧感に向き合いながら精一杯といった感じで、でも、任された仕事は全うしようとする強い意思が込められているようにも感じられ、とても好印象だった。
彼になら私の身の回りを任せても大丈夫だろうと思えるほどに。
「こちらこそよろしくね、アドレ君」
そんな、自身の手を強く握りしめ、緊張を隠そうと必死なアドレ君に私は笑顔を向ける。
旅行中、こんな巨体故に生活に色々と不都合が出た時の為にと、付き竜を用意してほしいとナイルさんに頼んだ時は、まさかこんな若い子が来るとは思っていなかったのだけれど…
まだ若いとはいえ、精一杯頑張って仕事を全うしようと頑張っている子は応援してあげたい。
私の付き竜と言っても、やる事と言ったら食事の用意だけでしょうし…まぁ…それが一番大変なのだろうけれども…
まぁ、ナイルさんの選んだ竜なのだから大丈夫だろう。
「では、入口での話も何なので、こちらへどうぞ」
そう言うと、アドレ君は入口から、ゴディヴァ中央甲板へ向かって案内を始めてくれた。
私としては正直、ここに来る前に気が付いた反重力術式の設定ミスもあって、予想しているよりも陣術に残っている魔力が少ない上、ただでさえ此処まで移動してくる中ずっと陣術を起動し続けていたので、あまり陣術を起動させ続けて、貴重な魔力を使いたくないのだけれど…
しかし、私を釣り上げたクレーンのある位置は丁度、船の端っこなので、このまま私がこの場所に居たのでは、船の浮上中、私のいる方向へと荷重が働いて船が傾いてしまうのだろう。
仕方ないけれど、私は陣術をフル稼働させ身体を軽くすると、更にその術式の上から移動術式を重ねて身体を動かすと、彼の案内する場所まで向かっていった。
「エトワール様。移動お疲れ様です」
陣術で移動しているので、実際に疲れる訳では無いのだが、アドレ君は移動を終えた私の口元へと転送術式を使って飲み物を運んできてくれた。
「ありがとう。けふっ…アドレ君。それから、私の事は様なんて付けず気軽に呼んでくれると嬉しいかな。あまり畏まって話されるのも…ちょっとね…」
彼が差し出してくれたワイン…恐らくメートルアグの果汁を発酵させて作った物かな。
甘く、僅かな酸味と、後味の爽やかさは、お酒としても美味しいのに不思議と酔いにくいので、喉を潤すにも持ってこいな飲み物を一気に飲み干した私は彼に告げる。
「そうですか…なら…ネージュさん、お代わりが必要でしたら遠慮なく言ってくださいね」
彼の表情から少しばかり緊張感が抜けた事を嬉しく思いながら、私は早速ワインのお代わりを頼む事にした。
それを、ゴクゴクと浴びるように飲みながら、収納術式の奥に僅かに残っていたベクタバーガーをおつまみ感覚で十個、ニ十個と口へと頬り込む。
メートルアグ由来のワインは確かに酔いにくいのだが、巨体故にアルコールが全身に回りにくいこの身体だと尚更酔いにくく、何度でも飲めてしまう。
とは言え、あまり飲み過ぎては乗員が飲む分が無くなってしまうかしら…?
あぁ…でも…もっと飲みたい…
今食べたので、ベクタで買い込んだハンバーガーはもう無くなっちゃったし…はぁ…
陣術の中に保管していた最後の一つを食べ終わると、寂しさに溜息しか出てこない。
まぁ…いざとなったら陣術の研究で稼いだお金を使って食料品を買わせて貰えば良いかな。
「それから、今晩、フィガロさんから一緒に会食をしたいと聞いているのですが、ネージュさんの予定は大丈夫でしょうか?」
「勿論ですっ!誘っていただきありがとうございますとナイルさんによろしく伝えといていただけるかしら?」
会食…つまり食事…!
その言葉を陣術越しで聞いた私は、喜んでと即答していた。
ちょっと食い気味過ぎたのか、画面越しで見えたアドル君の引き気味な表情に少し恥ずかしく思いながらも、あのナイルさんが用意してくれる食べ物の数々を思えば、自然と口の端から涎が溢れてしまうのは、仕方ないわよね。
「それと…もし余分にあれば…なのだけれど、何か食べ物って無いかしら…?用意していた食べ物がもう無くなってしまって…」
幾つもの陣術を器用に使いこなしながら、ナイルさんにお礼を伝えてくれたり、浮上の際に起こる船の揺れで、私の身体が船体から滑り落ちない様にと彼方此方をベルトで固定してくれていたアドレ君に私は、食事が欲しいとお願いする。
「この金額で足りるかしら…?もし足りなかったら言ってちょうだいね?」
勿論、タダで頼む訳にも行かないので、私は彼の陣術上に表示された画面に金額を提示し、このお金で、50t程の食べ物を買えないかと取引を申し込む。
「え…こんなに…ですか…?」
提示した金額に一瞬アドレ君の動きが止まる。
そして、彼が何回か陣術を操作した後、私の収納術式へとしっかりと約50tの食料が届けられていた。
「ごくっ…むしゃ…ありがとアドレ君…けふ…ごくり…」
直ぐに届けられた食べ物を早速口へと運びながら、私は彼にお礼を伝えた。
「いえいえ、この程度…それよりネージュさん…」
「どうしたのかしら?お金が足りなかったかしら…なら…」
一応、フィードロットに比べると、他の場所は食べ物の物価が高いからと多めに渡したつもりだったが、足りなかっただろうか?
「いえ…そうでなく…結構な額が余ってしまいまして…」
そう言いながら、アドレ君は余った金額を提示してくれる。
「あぁ、その位ならば、纏めてチップとして受け取って貰って良いかしら?」
仕事とはいえ、私の巨体の世話は大変だろう。
そう思って、私は先程渡したお金が余ったのならチップとして彼に渡そうと思っていた。
勿論、余らなくてもチップは送ろうとしていたのだが、この程度の金額なら気持ちと言う事で渡しても良いだろう。
今だって、私の身体が苦しくない様に注意を払いながら、ベルトで全身を何十か所も船体に固定してくれているのだ。
そんな頑張ってくれるアドレ君に対しての僅かな感謝の気持ちを渡そうとした私だったのだが…
「こ…こんなに沢山…受け取れませんよ…!」
そう言って、アドレ君は陣術を操作してお金を返そうとしてきたのだ。
「これから私の巨体がどれだけ迷惑掛けるか分からないし、それを含めた気持ちだと思って受け取って貰っても良いかしら?」
実際、旅行中は彼に多大な迷惑を掛ける事になるだろうし…
アドレ君は真面目だから、こういうのは嫌なのかもしれないが、それでも出来たら受け取って欲しかった。
「分かりました…ありがとうございます…」
そう言って、アドレ君はチップを受け取ってくれた。
その顔は、嬉しいのを隠そうとしている様で、口元が少しばかり吊り上がりそうなのを必死に抑えているように見えるし、スカラブ黄土竜特有の短めの尻尾も少しばかり揺れていた。
生真面目な竜柄だろうから、素直には喜べないのだろうが、どうやら喜んでくれてはいるみたいだ。
「後一時間程で、出航の準備が出来るので、それまでお待ちください」
陣術越しに他の船員達との出航準備に関する連絡を取りながら、アドレ君は引き続き食事中の私に伝えてくる。
「分かったわ。引き続きよろしくね」
それなら、一度反重力術式を解除して、魔力を充電しておいたほうが良いかしら?
航行中…空中にいる間に魔力が切れて、一気に荷重が掛かってしまうとその影響で船の操作に異常をきたしかねない。
「ふぅ…ぷひゅ…私の身体ってこんなに重かったかしら…」
そう考えた私は、一度反重力制御を全て落とすことにした。
フィードロットに暮らしていた時は、普段から感じていた事なので、慣れていたのだろうけれど、ここに来るまでの長い時間を反重力術式を使って身体を軽くしていたからだろう。
その反動もあって、私の本来の体重を一気に感じると、それはそれは非常に重く、呼吸に関しては、陣術の補助を得ているので問題ない筈なのに、それを以てしても圧迫感で息をするのも苦しい。
みしっ…
そんな音と共に、私の座っている甲板から鈍い音が響く。
魔力を圧縮して発射される戦術兵器だって、このゴディヴァに搭載されている理術の防壁の前には無力なのだから、私の体重だって大丈夫なのだろうと思って陣術を解除したのだけれど…
いや…気のせいだろう。
世界の法則すら捻じ曲げると言われる万能術式…
それが理術なのだから…流石にどんな重い竜だって…耐えられる…と思いたい…
研究者らしからぬ楽観的な考えだけど、今はそう思うしかない。
「むしゃ…はむっ…ごくり…ごく…けふっ」
それでも拭えぬ不安から、自然と食を運ぶ手が早くなっていくのが自分でも分かったのだが、ストレスからのやけ食いは、フィードロットで暮らしている内に出来てしまった私の性とも言える物なので、今更気にしない。
アドレ君の用意してくれた食料が次々と自分の胃へと収められていく。
「お待たせいたしましたネージュさん。では、そろそろ出発しますが、よろしいでしょうか?」
それから、一時間の内に何度かアドレ君にあんな食べ物は積んであるかしら?もしあったら食べたいなとお使いを頼みながら、出発準備が整うのを待っていた私の陣術にアドレ君の声が届く。
出発準備…と言われても、私を船体にベルトで固定する以外に準備など必要ないし、それもアドレ君が全てし終えてくれていたので、私はアドレ君の言葉に肉が付き過ぎて微動だに出来ない首の代わりに鼻先を軽く振って頷くと、船が浮き上がるのを待つことにする。
まもなく、私の耳に聴こえてきたのは、船内中心部で浮上の為に出力を上げていく理術の駆動音。
そして、それをサポートするために船の彼方此方に設置されている陣術の駆動音。
そんな音が何重にも鳴り響き、私を乗せた船が重々しい音を響かせながら少しずつ地面を離れていく。
そんな時だった。
船の彼方此方に設置されたブザーが鳴り響く。
恐らくは何かしらの問題が発生した時の音だろうと推測できる、けたたましい音。
「え…?まだ重量的に1106tは積載できたはずなのに…」
巨大飛空艇全体に鳴り響く、ブザー音を耳にした船員たちの中で、いち早く声を発したのは私の近くで、私を固定する為のベルトの最終確認をしてくれていたアドレ君だった。
その表情は動揺を隠せず、慌てて陣術を起動させると周囲へ連絡を取っている。
「あぁ…すみません…たぶん…私のせいかと…」
アドレ君が思わず口に出してしまっていた呟きを聞いていた私は直ぐに謝ると、充電の為に停止していた反重力術式を再起動させる。
「これで…大丈夫かしら…?」
みるみる内に身体が軽くなっていく感触。
そして、眼鏡型陣術に表示された私の現在の質量が勢いよく減っていくのが見える。
最終的に眼鏡の端に表示された152tと言う数字を見ながら、私は恐る恐るアドレ君に問いかける。
その数値は、反重力術式に負荷がかかり過ぎないギリギリの重量。
これで駄目なら…
また暫く先になってしまうだろう、ベクタにゴディヴァが来航するまで待って、改めてバルハラント諸島へ向かう事になるのだろうが…
勿論、その時の為にありったけの陣術回路を用意して、身体を軽くするつもりだが…
果たして、その時本当に船に乗り込むことが出来る体格を維持していられるのだろうか…
お願いだから浮き上がって欲しい…
もう、私に次があるとは思えない…
その願いが通じたのか、ゴディヴァ内に響き渡っていたブザーはゆっくりと音を潜めていき、ゴディヴァはゆっくりと浮上していく。
こうして、私の竜生最後になるであろうバルハラント諸島への長い旅が始まったのだった。
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