超密集地帯
22、〜変化する日常風景(予兆)〜
カルボナール=フラーは、かつて聡明で、思慮深い教授であった。
だが、発展した文明から、発展途上の世界に放り込まれた彼は、逆にその文化レベルに浸食された。
ウィルスに侵されたかのように、その体と精神は怠惰にも近い【ひたすら楽な方】へと誘われるように蝕まれ
その肉体は贅沢の限りを尽くした貴族か王族のようにぶくぶくと膨らみつづけていた。
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波打ち際のように優しげな音が、アラームとして部屋に響く。
一切の不快感を覚えさせず、対象者の意識をゆっくりと覚醒させてくれる。
「ん…ん〜〜……ふわぁああ、…朝かぁ゛あ゛」
ゆっくりと瞼を開き、両腕を上に伸ばす。
音声クリアの補助機能をオンにしていながら、彼の声は野太く低い聞き取りづらいものであった。
よいしょ、と普通の竜ならベッドから降りて着替えたり顔を洗ったりするのだろう。
だが現状では、最初の時点で無理だった。まず降りるベッドが存在しない。
床に広がり続けている自身の肉が布団であり、同時にベッドなのだ。
敷布は敷いているが、布団というよりはあくまでそこが寝床であると証明してくれる代物でしかない。
「さぽぉたぁ・・・、ぜぇんぶ、きどう、…むにゃ…」
『マスター・フラー様、ご指示を』
音声パッチを当てている、2台のサポートメカが待機状態で浮遊している。
「んんっとぉ、それじゃあ、いつもの頼もうかなぁ・・・」
『了解しました。指定プログラム実行…準備にかかります…
”洗顔””ブラッシング”情報ダウンロード…続いて”歯磨き”指定時間…』
複雑なプログラムや命令も、すでに設定済みだから細かく指定する必要もない。
仮に受け答えが無くても、現在のフラーの状況や健康状態から最適なサポートをメカ達が勝手にしてくれる。
今のフラーが行うのは、命令を実行するかどうかというサインだけだ。
様々なアームが飛び出た複数のサポートメカが朝の支度を全て代わりにやってくれる。
ぶよぶよの肉塊は微動だにせず、されるがままだ。
その待機時間、ざっと目の前に表示されるウィンドウでニュースの一覧を見たり、新店舗の新メニューをチェックしていく。
「じゅるり…へぇ〜『ちゅびぃ(chubby)』でまた新メニューかぁ〜特盛でぜんぶたべてみないとなぁ」
今のフラーの一番の興味は『食事』であるが、何も彼だけではない。この地域一帯、ほぼすべての竜たちの最大の関心ごとは
『飲み食い』か『食っちゃ寝』で片付く。
洗顔と歯磨きを終え、ドアの扉を開けて貰う。
ドアは前後の開閉式はとっくの昔に使用不可能で、今は左右にスライドして開く代物に変わっている。
そうでなければ、数日ごとに家をリフォームしないと追いつかないからだ。
それでも1ヵ月も経てばどの家も必ず増築と改築しないと満足に生活できない。それほど、竜たちの肥大化するペースは際限知らずだった。
肥満竜たちというのは周囲が太れば、自然と周りに釣られるものだ。
自分はまだそこまで太っていない、まだ彼らほどじゃない、あの子より少しふっくらした程度だ
そんな感覚を常に纏ってしまう。
生き物は自分で現在の自分を客観的に知ることは出来ない。
常に『平均』を求め続け、その基準と自分と比べ続ける。
それゆえに『平均体重』が増え続けるこの世界は未だに誰もが深刻な状況とは思わず
溢れんばかりに生産した食材を、その身に注ぎ続け
代わりに脂肪を溢れさせるのだ。
消費が増える程、経済や生産事情は良くなる。
畜産農業は大規模になり、効率化され安定した供給どころか消費しないと腐らせてしまう程になる。
だが、もちろん腐らせる事は無い、彼らはきっちり消費しきるから。
たとえとうてい食べきれない量だろうが、『アスターゼ草』を利用し、限界を超えて食らい、また肥える。
600t前後を行き来していた重度肉塊のカルボナール=フラーも
いまやかつての超重度病的肉塊のナイルに近づき…
880tという段階まで来てしまっていた。
マージベーカリー家屋の建築素材はベクタ大陸と同等の強度になっており、
そうでなければとっくに床が突き抜けて倒壊しているだろう。
「さぁてぇ、きょうの朝食はなにかなぁ〜」
ふん、ふんと鼻歌をしながら『元』階段をおりていくフラー。
階段はどうあがいても無理な体型であり、今はバリアフリーのようななだらかな螺旋傾斜になっている。
ズズズ…と肉をひきずりながら、リビングまでやって来る。
すでにリビングには家主であるダグラス、その妻ハリア、一人息子のコープが席(?)についていた。
席とはいうが実際に椅子は無く、テーブルも無い。
2mほどの大型のサポートメカ、通称『ブルーボックス』が様々な陣術を展開し、用意していた朝食を全員に配るように食べさせていた。
早速その中にフラーも混ざり、ハリアさんお手製(遠隔操作なのはご愛嬌)のご馳走をたんまりと堪能した。
脂っこい揚げ物を中心に、サンドイッチやミートパイをどんどん食べ勧める。
一度の食事でも体重が増えそうな超カロリーの高脂肪料理達。
だが、胃にやさしく味もいい為、飽きが来ないのかと思うぐらいどんどんお代わりの催促がされる。
パツン! と、コープの父、ダグラスが着ていた服のボタンが弾け飛ぶ…が、日常風景だ。
巨大な肉塊ボディでむしろ未だ前ボタンを占めているのは習慣からの癖だろう。
ちなみに私はというと、袖を通すのも面倒なので最近は取り付け式ネクタイのような、肩の上に載せるだけ…のような着方をしている。
陣術で位置を固定化させているため、強風が来たって飛ばされることは無い。
オシャレにも気を使ってるし、ベクタ大陸の竜たちとは違ってまだまだ大丈夫だろう。
…そう自分に言い聞かせるフラーだが、その体重はベクタ大陸の平均体重にとっくに追いついている。
とはいえベクタ大陸も最近凄まじい勢いで『平均値』が上昇しているらしい。
マージ家だって相当だ。
全員が、ほぼ100t以上増加しており、数値以上にその幅、面積は増えすぎている。
サポートメカの補助を受けながらも様々な行動に障害が発生し、日常生活はかつてと違うサイクルになりつつある。
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朝食を終え、ずしりとさらに重みを増した体で学校へ向かう。
「はやく、じたくからの完全通信教育に、ならないかなぁ、やれやれ・・・」
愚痴を言いながらもぜぇはぁと息を乱して通勤をするフラー。
何十倍もの負荷軽減をしながら、彼は移動の疲労だけですでに帰りたい気持ちでいっぱいだった。
やっとこさ学校に来たが、まずは腹ごしらえが必要である。
当然来る道中も、フライドポテトや軟骨チキン、つくね串などなどを買い食いしていたが
この体を維持するためには、ちっとも足りないのだ。
太るとわかっていながらも、常時アスターゼ草を使用している生活のせいで四六時中食べ続けていないとどうにも落ち着かない。
生徒も教師も、授業休憩時間問わず食事は完全自由なので問題は無い。
職員室に行くと、クジンシー教頭がサポートメカに大量の空箱を処理させていた。
朝早くから準備している間、ピザや牛丼、鰻重と言った出前を頼んでいたのだろう。ぅ…匂いが残ってて、私も食べたくなってきた。頼むとしようかな。
にしても教頭は相変わらず痩せすぎじゃないだろうか…
以前、狭い場所(※自宅の書斎)に詰まったと聞いたがいったいどれほど狭いところに居たのだろう?通気口か何かじゃないだろうか。
目の前の肉塊を見てもそう思えるほど、彼の感覚は麻痺しきっていた。
肉塊ボディこそが平均的であり、『肥満』という状態がどういう状況を示すのか今の彼にはなかなか想像がつかない。
(確か、まだ400tぐらいなんだっけ…羨ましいなぁ、体もきっと軽いんだろうな)
自分の半分以下の『肉塊竜』に羨望の眼差しを向けながら、無意識にパネルを操作し複数の出前を注文しておいた。
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授業の内容は、いつもと変わらない。
だが進行速度は異常に遅くなっている。生徒、教師共に授業中に食事を繰り返すせいだろう。
「んぁあ、くっちゃくちゃ、もしゃもしゃ、というわけでぇ、ここの文法はぁあ・・・ぐへぇえっぷぅうう・・・」
フラーは半分ぐらい寝惚けている様子で、それでもしっかりと授業は続けている。
生徒たちも食事の片手間に聞いているので、それぐらいのスローペースが丁度良いのだろう。
彼は塩コショウで味付けし、半日ほど漬けこんだタンドリーチキンを豪快に貪りながら話をしていた。
噛む回数は非常に少なく、そのせいでフラーは短時間でありえない量を平らげる羽目になっている。
ぶくり、ぶくり…とその肉塊の腹部と思わしき場所が盛り上がっていく。
「むふぅーーーくふぅーーー、それじゃあぁ、ここの問題おぉレナス君、解いてみてくれる、かなぁ、モシャモシャ…」
「は、はぁいい・・・」
もたもたとした動作で、片腕をあげるレナス。
教室内で最も『控えめ』な体型の彼に当てたのは他の生徒が満足に回答してくれないせいだ。
それでも、意外な事に生徒たちの学力はそれほど低下していなかった。
ストレスの少ない、快適な環境で、それこそ我慢せず好きなだけ美味しいおやつやご飯が食べれるという状態は
スローペースな教師たちの指導と丁度良く合い、誰も話が追いつけない、という事態を回避した。
その後の授業も休み時間も、口は絶え間なく働き続ける。
学力は安定していたが、体型は増加の一方だ。学園祭にも似たイベントが毎週行われ、
その度にフードコートや中庭が賑わう。
しかし、一つだけ問題があった。
【場所】がどうにも確保できないのだ。
校長や教頭は悩み、そしてある決断をする。遅かれ早かれそうなる予定ではあったが…
学校の授業体系の変革だ。
全生徒が専用のデバイスとパソコン、モニターを利用し自宅に居ながら授業を受けれるようにしたのだ。
これなら前日の食べ過ぎで『過食休暇』をしていた生徒も教師も問題なく授業が可能になる。
当然ながら、それは彼らの最後の
移動による運動、つまりはカロリーの消費をもっとも奪う原因になるのだった……。
続く
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