カーザ・ミーア
4、巨竜の海水浴
「ふぅ…海の近くに船を停めて貰えてよかったわ…もし、後少しアドレ君が起してくれたのが遅かったら…」
その時の事を考えながら、私は僅かに顔を顰める。
ゴディヴァに乗船してから、出来るだけ消費魔力を抑え騙しだまし使い続けていた反重力術式の魔力が尽きてしまっていただろう。
そんな恐ろしさは、私の眼鏡型陣術に表示された数字にも表れていた。
そこに表示されていたのは、428tという数字。
その程度の重さを支える事は、ゴディヴァに搭載された理術なら可能だろう。
だけど、私がゴディヴァに乗り込んだ時から日を追うごとに増えている、この数字の意味するところは、私が使用していた反重力術式が切れかけているという事。
何はともあれ、航行中の遥か上空で術式が切れなくて本当によかった。
海上に停泊している間に出来るだけ陣術回路の充電をしておかないと…
だけど…甲板で充電をする事は出来ないでしょうし…
「ねぇ…アドレ君?私、これから海でひと泳ぎしてこようと思っているのだけど、大丈夫かしら?」
先程、ルーク諸島周辺の海上へとゴディヴァを停泊させる為に協力してくれた竜たちに対して、お礼の言葉を述べて回っていたのが、ひと段落して私の元へと戻ってきていたアドレ君に呼びかける。
「え、泳げ…泳ぐんですか?恐らく大丈夫だとは思うのですが…ちょっと…確認してきますね」
そう言うと、一瞬目を丸くして何度か瞬きをしたアドレ君は、また慌てて私の元から駆け出して行った。
恐らくだけど…まぁ…私の身体が泳ぐとなると、多少なりとも周囲に影響が出てしまうでしょうから、その事を周りに連絡しに行ってくれたのだろう。
本当の目的として泳ぐわけでは無く、海の上で漂いながら陣術を充電するのが目的だったのだけれど…
なんせ、ゴディヴァの上で充電すると言う事は、ゴディヴァの甲板で体重を解き放つと言う訳で…
旅行中、またちょっとばかり太ってしまった気がして、甲板での充電は正直少しばかり怖かったと言うのもある。
でも、何と言うか…反重力術式が切れかけているから、充電の為に海に行きたいとは…
乙女心からか、言い出せなかった…
だって…今だって凄い体重なのに…本当なら、巨大なゴディヴァに乗っているのも難しいおデブちゃんだなんて…そんなの恥ずかしくて言えない…
そのせいで、アドレ君だけでなく、他の竜にまで迷惑を掛けてしまうとは…思っていなくて、正直…申し訳ないとは思っているけれど…
「お待たせしました!あの、周囲には連絡しましたので、この範囲でなら遊泳は可能かと…では、船が飛び立つまで、ごゆっくり遊泳をお楽しみください」
暫くすると戻ってきたアドレ君は、ルーク諸島周辺に陣術による防御壁を張って貰う様に島の管理者達に頼んでくれていたようだ。
「ありがとう。アドレ君。じゃあ、私はちょっと海へ行ってくるわね」
停泊している時間は大体、半日ほどだろう。
そうなると、なるべく早めに充電を開始しておきたかった私は、アドレ君に一声お礼を告げ、水面が揺れているのが見えるゴディヴァの端まで這っていくと、射出術式を使用して海へと放物線を描きながら飛び込んだ。
バッシャーンッ!!
数十メートルの飛翔の後、私は無事に海の中へと着水すると、脂肪の浮力で勝手に浮き上がっていく。
私は無事だったが、数十メートルまで撥ね上げられた海水と、離着時の衝撃で起きてしまった大波が、ゴディヴァの船体へと水しぶきとなって飛びかかり、周囲に漂っているヌークレイム島の住人が漁で使っているのだろう小さな船は、波にのまれて見えなくなり、勢いの衰えない大波は、島の絶壁へと押し寄せようとしていた。
流石に、海抜からかなりの高さのある島の陸地までは、波は届かないだろうけど、勢いのあり過ぎる波の衝撃で、島周辺の山のような高い崖が削れてしまうのではと、私が少し心配になっていたのだけれど…
しかし、事前に防御壁を張る様にアドレ君が連絡をしていてくれたおかげか、島周辺の壁には、抉れた後一つなく、海と壁の境目で見えない壁に弾かれ、小さな船々も無事そうだった。
そんな大波によって、少なからず水しぶきが飛び散っては揺れるゴディヴァで、必死に船体にしがみ付いたアドレ君に、私は恥ずかしさを隠すために悪戯っぽく舌を出して笑いかけると、反重力の術式を全て停止させる。
すると、ドプンとゼリーを潰したような重い音と共に私の巨体が海中へと沈み込み、また浮上していく。
防御壁を張っていたため、顔に掛かる水は、ガラスが水を弾くかの如く私の肉を伝って滴り、何段にも重なった肉の深い溝に溜まっていく。
塩をたっぷりと含んだ海水なので、普通ならべたべたと身体に纏わりつく感触を気持ち悪く思っていただろうけれど、もう肉が多すぎて神経まで感触が届いていない私には、本来感じる筈のべたつきすら感じなかった。
海水の冷たさは多少感じるものの、それだって、分厚い手袋越しに氷を持っているかのような朧気な感触。
唯一はっきり分かるのが、まだ私が起こしてしまった波によって、全身の肉が揉まれ、揉まれた肉同士がビタンビタンと大きな音を立てながら打ち合っている音だけだった。
だけれども、海水浴特有の心地良さは殆ど感じなくとも、全身の力を抜ききって流れに任せて揺蕩えるというのはやっぱり心地が良い。
陸地でも…陣術に頼りきりで筋力は衰えていて殆ど力なんて入れていないのだけれども、やっぱり陸地だと、場所によっては私の重さで、ただそこにいるだけで身体が沈んでしまう時があるのだから、そんな事を気にせずに浮力に任せていられる水の上って言うのは、とても楽なのだった。
順調に陣術へと溜まっていく魔力を監視しながら、私はゴディヴァの甲板で時折私の方を見つめるアドレ君へと目を向ける。
だけれど、その表情は少し心配そうで、それでも、私と目が合うたびにこちらに柔らかな笑顔を向けてくれていた。
「出航まで、後どのくらい時間があるのかしら?」
そんな心配そうなアドレ君に私は話題を振ってみる。
勿論、アドレ君の事なので出航する直前には、一言掛けてくれるだろうと分かってはいたのだけれど…
何が心配なのかしら…?
私が海に入ってからずっと不安そうに見つめられている理由が、私には分からなかった。
それでも、不安そうな彼を少しでも安心させてあげられたら…
付き竜とは言え、自分よりも一回りは歳が下の彼に心配されてばかりなのは、年上として…ちょっとだけ恥ずかしかったから…
そんな理由があったのだけど、声を掛けられる自然な話題が思いつけなかった私は、取り敢えず無難な話題を出すことにしたのだった。
「あと、三時間程の予定です!何か御用があれば、遠慮なく申しつけください!」
「そう、ありがとう。なら、もう少しゆっくりさせて頂こうかしら?」
三時間もあれば、十分に陣術の充電も出来るだろう。
そんな私の返答にアドレ君は陣術の画面越しに少々不安げに何か聞きたげだ。
「あの…ネージュさん…?失礼かもしれないのですが…あまり長い間、海で泳いでいると、沖の方へと流されたりしまいませんか…?すいません…少し心配で…」
まぁ、ちょっとした小島の様な身体とはいえ、島と違って固定されていない私が、波に流されて沖の方へと流れて行ってしまったりしないか心配なのね。
私としては、陣術の助けがあって、尚且つ周囲への被害を考えないで済むのならば、自力で陸地まで戻る事も出来るから、そんな事より充電の事で頭が一杯でそこまで考えてなかった。
ただ、普通の竜から見た私は、陣術の助けなしでは、何もできない肉の塊。
そんな私が、一人で海を漂っていたら色々と不安にもなるのだろう…
「だ、大丈夫よ…!移動するための陣術が、ちゃんと動くか確認してあるし、あまり心配掛けちゃうのも悪いから、気持ち早めに戻る事にしようと思ってる…から…」
そんな風に思われていたのかと想像し、恥ずかしさから少しばかり声が大きくなるが、アドレ君にとって私は大事な客な訳で…そんな私が少しでも危険のある状況に置かれていたら、生真面目な彼は心配してしまうのだろう。
そう考えると、彼に申し訳なく、私の声は自然と小さくなっていく…
年上としてアドレ君を安心させるつもりが…
なんだか、余計に心配されてしまった気がする…
その後の二時間ほどは、時折声を掛けてくれるアドレ君に軽く返事をしただけで、特に何事もなくただ時間だけが過ぎていった。
その時の私は、ただ手の掛かるだけの自身の巨体を…ただひたすらに恥ずかしいと感じていた。
その感情は、フィードロットの暮らしに慣れ始めた頃以来、久しく感じていなかったもの。
もし、私が痩せた普通の竜だったらどうだったのかしら…
こんなにアドレ君を…いや、沢山の竜たちに迷惑や手を掛けさせる事は無かったのでないかしら…?
「ネージュさーん!まもなく出航準備が完了しますので、そろそろ船に戻ってきていただけますか?」
そんな事を考えている内に、いつの間にか時間が過ぎてしまっていたようだ。
でも、時間を掛けて落ち込んでいたからか、少しばかり心に溜まっていた靄の様な感情は楽になった気がする。
それでも、この靄が晴れ切った訳では無いのだけれど…
反重力術式に込められた魔力が、これからの空の旅の間、充分に持つことを確認した私は、海に飛び込んだ時に使ったのと同じ、射出術式を起動させてゴディヴァの甲板へと飛び移ろうとした。
そう…飛び移ろうとしたのだけれど…
「あ…あれ…?」
射出術式、それは、所謂ロケットの推進剤の様な莫大な推進力で超重量の物を空へと飛ばすために使われる陣術。
実際、過去の大戦で使われた魔術弾頭を始めとした、超重量の戦略兵器を射出する際にも用いられていた物であり、その陣術を全力で稼働させれば、ベクタの一般的な肉塊竜…つまり20t程の重量ならば、ドラゴルーナ衛星軌道上まで飛ばしてしまう事も出来た筈…
それが…その陣術がビクリとも動かない。
「こ…故障…こんな時に…嘘…!?」
自然と口元が、わなわなと震えてしまう。
さっきまで使えていた筈なのに…
このままでは、最初にゴディヴァに乗せて貰った時のようにクレーンで吊って貰う事になるだろう…
ただ、それは、陸地だからこそ出来た話だ…
今は、ゴディヴァは停泊中とはいえ、海上を飛行している状態…そんな不安定な宙で、私の重量をクレーンで持ち上げようなんてしたら…
どんなに頑張って反重力術式で身体を軽くしたとしても、吊り上げた時の私の重さにつられて、ゴディヴァが転覆しかねない…
そうなったら、私の付き竜であるアドレ君が、管理不届きとかって…何をしていたのだと責められてしまう…
アドレ君は、私の事を心配して…頑張って仕事を全うしようとしてくれていたのに…
そんな焦りから、私は急いで陣術回路を確認していく。
しかし、そこに異常は見られなかった。
「なんで…どうして…」
私が、陣術回路を調べている間に少しずつ過ぎていく時間。
慌てれば慌てるほど、焦燥感は増していき、日が沈み始め暗くなり始めた空は、まるで私の心を写しているようだった。
「あ…もしかして…」
その時、射出術式を調べていた私は、ふと眼鏡陣術に写された自分のステータスの中で体重の数値に目を向ける。
そこに表示されていたのは、もう見慣れたエラーの文字。
「あ…あぁ…良かった…」
その表示を見て、私は反重力術式を停止させたままだった事を思い出した。
どうやら、先程の事で落ち込んでいたからか、魔力量の確認をした後、起動するのを忘れてしまっていたらしい。
私は、慌てて術式を起動し、身体を軽くしていく。
そして、改めて射出術式を使用すると、水面から自身の巨体を勢いよく飛び上がったのだった。
放物線を描いて飛び上がった私は、みるみるとゴディヴァへと近づいていく。
十分な距離まで近寄ったのを確認した私は、高度を確認すると射出術式の勢いを抑え込んだ。
そして、移動術式、反重力術式に予め組み込んでおいた制御によって、私の巨体はゆっくりとホバリングをしながら軌道を修正し、出来るだけ衝撃で船を揺らさない様にゆっくりと、甲板の上にその巨体を寝転がせる様に着地する。
ドスンッ…
甲板に居たアドレ君が口を大きく開けて驚きながら、衝撃に備えているのが見えたが、そんな彼の不安そうな表情は、数秒後、安堵の表情に変わっていた。
本来ならば、魔術弾頭の推進剤としても使われることもあってか、超長距離を飛ばすことを目的に作られている為、出力重視の射出術式は、今みたいな精密移動には向かないのだけど、こうして、なるべく船を揺らさない様に着地出来たのは、身体を軽くしていたとはいえ、まだまだ凄まじく重い私の体重により、射出距離が短くなっていた事と、陣術に関する研究者として過ごしてきた中で身についた知識と技術の賜物だろう。
「ふふんっ」
そんな事を思うと少しだけ自分が誇らしくて、無事着地した私はついドヤ顔を決めてしまう。
でも…陣術に関しては誇っても良いとは思うけど…
体重に関しては誇れないのよね…
そう思うと、ドヤ顔から一転、私の表情に影が差していく。
我ながら、いい歳して、喜怒哀楽が激しくて嫌になっちゃう…
「ただいま…色々と心配かけちゃって…ごめんね…」
私が着地した時の衝撃の余韻で、まだ揺れている甲板上で、アドレ君は私が無事に帰ってきたことに安堵の表情を浮かべていてくれた。
私は、恥ずかしさと申し訳なさで引き攣った笑みを彼に向ける。
「いえいえ…本当に無事で戻ってきていただけて良かったです…」
そんな、私の引き攣った笑みにアドレ君は、ただひたすらに嬉しそうに微笑み返してくれたのだった。
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