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カーザ・ミーア

5、晩餐会

エトワールさんが無事に甲板へと戻ってこれたのを…
その戻り方に驚きつつも、安堵した我々は、その後、何事もなくルーク諸島を飛び立った。

停泊中の補給は充分以上。
ルーク諸島での商売も、予め手を回していた事が幸いして、滞りなく進める事が出来た。

航行中に使用する各種消耗品を船員達に確認するよう指示を出しながら、私はこれから行われる晩餐会に思いを馳せていた。

なんせ、エトワールさんが乗船してきてくれてからは、このゴディヴァで商売を続けてきた長い時間の中でも驚くほどの好景気。
その殆どが、彼女個人の財力のお陰だと考えると驚きだが、金払いの良い客はいつだって大歓迎。

現に彼女のお陰で、これまで見た事もない程に豪華な晩餐会を船員の皆と楽しむことが出来るのだから、出来る事ならば、彼女には今後もこのゴディヴァを使って何度か帰郷して貰いたいと考えてしまう。
だがそれは、世界情勢的にも…いや、それ以上に彼女の体格的に難しいだろうと考えると非常に惜しい…

それなら寧ろ、彼女の為だけだろうと、フィードロット市に巨大な空港を作ってしまったらどうだろうか…?
私の財力を惜しみなく使えば、それも可能だが…それで採算は取れるのだろうか?

フィードロットの肉塊竜を運ぶとなると相当な難題にはなるだろうし、そもそも、彼女以外に利用者が表れるとも思わないが…それでも…

その時に必要になるだろう、もろもろの経費を頭の中で計算していたその時、私の執務室の扉をノックする音が聞こえてくる。

「どうぞ」
時間的に食事の準備が終わった事をアドル君が伝えに来てくれたのだろう。
今日の晩餐を考えると、自然と溢れる食欲から口周りを舌で軽く舐め、口に溜まっていた涎を飲み込むと、声を掛けた。

「失礼します。フィガロさん。食事の準備が出来ましたので呼びに参りました!」
予想通り、扉が開かれるとそこに立っていたのはアドレ君だった。
そんな彼の陣術に助けて貰いながら、私は、椅子から立ち上がる。
そして、この航空が始まってから、僅かばかり増えてしまっていた余分な肉で重くなった身体を左右に揺らしながら、執務室の扉を出ると、甲板へと向かっていったのだった。

「あ、フィガロさん遅いですよー!貴方が居ないと始まらないんですからー」
甲板へと到着した私を迎えてくれたのは、たっぷりと酒の類が注がれたグラスが響き合う音と、始まらないと言いつつも、もう随分と酔いつぶれていた船員達の呂律の回っていない大きな声だった。

そんな彼らを見て、少しだけ苦笑しながら、食事を楽しんでくれているのを嬉しく思う。
なんせ、このゴディヴァのオーナーは私だが、そんな私が商業を続けていられるのは、彼ら船員達の支えがあるお陰。
そんな彼らには、食事の時くらいは鱈腹食べて、沢山羽目を外して貰いたい。
尤も、一度仕事が始まれば、しっかりと働いて貰うつもりだが。

「ははっ。待たせて悪いね。じゃあ、私も混じらせて頂こうかな?」
私がそう言うと、船員達はグラスを豪快にぶつけ合わせて答えてくれた。

今日は、港から離れたばかりと言う事もあってか、甲板で開かれた晩餐会には、新鮮な野菜や、あまり日持ちのしない生肉や魚介類がふんだんに使われている。

普段の食事だって、なるべく豪華に皆が沢山食べられるようにと、心がけているつもりだが、やはりそう言う訳もあってか、今日の食事は特に豪華だった。

あぁ、そうだった。
今も、操縦席で航行中の異常が無いか確認している竜達にも後で食事を運んでおくようアドレ君に頼んでおこう。
尤も、理術や陣術のお陰で半自動化されているのが、このゴディヴァだ。
操縦席の船員も交互に食事を食べに来るだろうが。

そんな事を考えながら私は、甲板上に用意して貰った私専用のソファーに重い腰を降ろす。
そこへ、すかさずにアドレ君がたっぷりとワインの注がれたグラスを手渡してくれた。

陣術だけでなく、成竜だって苦戦する理術の操作まで難なくこなしている彼は、今私に注いでくれたワインもそうであるように所々気が回る。
恐らくだが、ダイエットの為とは言え、ゲリデルバーのワインを飲んでいた時に私が不味そうに顔を顰めていたのを覚えていてくれたのだろう。

「ありがとう…ふぅ。お代わりを貰ってもいいかな?」
たっぷりと注がれたメートルアグのワインを私は一気に飲み干すと、その美味しさから小さな溜息が漏れてしまった。
やはり、ダイエットの為とは言え、不味い物を飲み食いするのは性に合わないな。

そして、すぐに渡されたワインと、燻製されたチーズに加えて、焼きたての熱い油が泡立ち滴る骨付き肉を一緒に手渡して貰うと、その全てをあっと言う間に平らげる。

そして、すかさずにおかわりを頼む。
私は、次々と渡してくれる様々な種類の料理を味わいながら胃へと押し込んでいく。
ただ、それの繰り返し、だがこれこそが究極の至福のひと時だった。

「ふぅ…」
まだ腹五分目と行ったところだが、少しだけ酔いが回ってきてしまった。
飲みやすいメートルアグのお酒と言うのもあるが、我ながら航空の半ばまで大した問題もなく無事に終えられたからと、気が抜けてしまっていたのかもしれない。

それにしても、甲板上を優しく撫でるような冷たい風が心地いい。
普段ならば、食堂で皆と食べているのだが、この航空中はよく食べる大きなお客が居るのだ。
食堂に彼女が入りきれない事と、食堂から甲板で過ごす彼女の元へと食事を運んでいたのでは、何万往復もしなければならない。
そんな事は面倒だと、この船の料理長が苦心して出てきた結果が、このバーベキューの様な晩餐会だったのだが、これはこれで良い物だ。

そんな事を思いながら私は、その大きなお客であるエトワールさんに目を向ける。
その姿は、正にアズライト諸島に浮かぶメガフロートに付けられた名の由来にもなった、お伽話に出てくる世界を喰らう巨竜レヴィアサンの如し。

アドレ君を始めとした船員達に頼んで、数百キロにもなる料理の束を陣術で運んで貰いながら、全てを呑み込んでいるかの様に口へと運んでいる彼女の姿は、神話に出てくる巨竜そのものに見えてしまう。

そんな姿は、見ていて気持ちがいい程で、アドレ君以外の船員達も渡せば食べてくれる彼女を面白がって食事を届けては、食べて貰っている。
大切なお客をサーカス小屋の見世物の様に扱ってはいけないと注意をしようとも思ったが、態々自身の陣術を起動させずとも沢山食べられるのが嬉しいのか、微笑んでいる彼女を見ていると、彼女が嬉しいのならとその思考はそっと脇へと避けておく。

おっと…彼女の食べる姿を見ていたら、すっかり皿が空になっていたようだ。
どうも、彼女の食べっぷりを見ていると、私もつられて食べ過ぎてしまっていたみたいだ。

そんな空になった皿を眺めながら、新しい料理をアドレ君に頼もうと思ったのだが、エトワールさんに食事を運んでいるアドレ君はとても忙しそうだ。
表情こそは、普段の穏やかな彼の物だったが、そんな表情の中にどこか鬼気迫る雰囲気を感じた私は、アドル君を呼ぶのを止める事にする。

エトワールさんは今、アドレ君の大事なお客である。
そんな彼に今回の仕事を頼んだ私が、彼の仕事を邪魔してしまっては、この船のオーナーとして失格だろう。
そう思った私は、自分で食事を取りに行くため、ソファーから重い身体を起き上らせようとした。

「うっ…ぐぷっ…」
私は、起き上る為、床に足をしっかりと踏み付けると、腰に力を入れたのだが、大きく張ったお腹が重いのか、それともメートルアグのワインで酔ってしまったのだか、身体がソファーから浮き上がらない。
そんな、特別柔らかく、大きく作らせた私専用のソファーへと、私の身体が深々と埋まってしまっていたのだ。
最早、肘掛の間に脇腹が挟まったとも言って良いこの状況に私は、どうしたものかと酔った頭で思考を始める。

エトワールさんに食事を運ぶか、自身の食事中で忙しそうな船員達を呼び止めるのは申し訳ない。
必死になって、力をふり絞れば、ソファーにはまった身体を起すことは出来るかもしれないが…
そんな、情けない自身の姿を船員達に見られるのは、オーナーとして恥ずかしい…

考えている内に、いつ船員達に気が付かれるかと言う焦りと、恥ずかしさ、そしてどうしようもなさで冷汗が垂れ始め、顔は苦笑しているのか引き攣り始めている。

あぁ…そう言えば…
そんな時、一つこの状況を打破する為の方法を思い出した。

エトワールさんが前の食事の時に教えてくれた方法なら、態々動かなくとも食事ができるのではないか…どうだろうか?
それを聞いていた時の私は、流石ベクタ大陸でも随一の肥満都市、フィードロットで暮らしていた竜…食べる事に関して何処までも合理的だと関心しながらも、自分には縁がないだろうと冗談半分に聞いていた話だったのだが…

私は、ベストの内ポケットから、小さなビー玉程の大きさの球体を三つ取り出した。
それは、エトワールさんが使っているものと同じ移動術式が書き込まれている陣術回路。
サイズが小さい分、出力は彼女の物と比べて大きく落ちるが、私の食欲も彼女に比べたら到底及ばない為、この大きさの物で充分だろう。

エトワールさん曰く、この回路に刻まれた術式から、少しだけ回路を削って…代わりに重力制御を組み込めば…
酔った頭で上手くできたかどうかは分からないが、数分の間、陣術回路と向き合った私の手元には、三つの改良された陣術回路が転がっていた。

それを早速起動すれば、三つの術式回路は、それぞれ別の方向へと飛んでいき、それぞれが別の料理を運んできてくれた。
どうやら、回路の改良は成功しているようだ。

私は、陣術が運んできてくれた料理を見て頷くと、早速手に取って頬張り始める。
何度も噛みしめ味わうと、肉や魚介類の風味が口の中に存分に広がっていくのを楽しんだ後、料理を呑み込み、こってりとしていた口にワインを含むと、その風味を楽しむ。

「あぁ…美味しい…誰の手も煩わせず、自分のペースで食べられるというのが実に良い」

「あの…フィガロさん。あまり食べ過ぎには注意してくださいね?最近…その…少しばかりふくよかになったように見えますので…」
私が、満足に喉を鳴らしていたその時、一旦手が空いたのかアドレ君が私へと小言を漏らす。
普段から、私だけでなく他の船員達の体調も心配してくれる彼だったが、食事に関しては、人との駆け引きの多い仕事柄、ストレスが溜まりやすいからと多少は目を瞑ってくれていた彼が注意をすると言う事は、最近少しばかり食べ過ぎてしまっていたのだろうか?

だが、お人好し故に周囲を心配してくれる彼も、他人の事を言えるだろうか?
元から、私の若い頃に比べたら良い体格をしているが、ここ最近の彼は、そのシルエットが日々、私に近づいているように見えるのは、酔っていて視界が少し歪んでいるからか、それとも単なる気のせいなのだろうか?

「アドレ君…?」

「どうしました?フィガロさん?僕の事をそんなにまじまじと見て…あ…もしかして…服装が乱れてたり…しましたか?すいません…最近少しベストが苦しくって…ブリザベルクに着いたら仕立て屋に持っていこうと思っていたのですが…」
私が声を掛けると、何かを察したのか彼は、こちらに近づいてきて私に向かって頭を下げてきたのだが、私が彼に声を掛けたのは、彼に謝って貰う為では無い。

寧ろ、何で彼が謝っているのだろうか?
まぁ、私が送ったベストの事なら気にしなくていい。
仔竜の成長は早いのだから、服だって直ぐに小さくなってしまうだろう。

そうだな…何か祝い事があるわけではないが、適当に理由を付けて新しいベストを贈るべきか?
少し過保護が過ぎると、また古参から笑われてしまうのだろうが…

そんな事を考えていたら、思っていたよりも時間が過ぎてしまっていたらしい。
どうやら、随分と酔っていたみたいだ。
ついつい物思いに耽ってしまう。

「いやいや、そんな事じゃないんだ。先程からずっと忙しそうにしているから、ちゃんと食事を楽しめてるか心配になってね。仕事熱心な事は良い事だが、エトワールさんも自分で食べられるわけだから、時には手を止めて自分も楽しんでも良いと思うのだよ」
そう言いながら、申し訳なさそうに頭を下げていた彼の茶色い髪を撫でて励まそうかと思って手を伸ばしたのだが…

酔っていたからか、思っていた方へと腕が動かせずに私の伸ばした手は頭ではなく、彼のお腹へとポトリと落ちてしまっていた事に私は気が付かず…

「あ…ありがとうございます…大丈夫ですか…その…かなり酔っているようですが…?」
酔って意識のはっきりしなかった私は、お腹を頭だと思って撫でてしまっていたらしい。
それにしても、彼をスカラブで見つけた時は、丁度この辺りに頭があったのだが…
いやはや…仔竜の成長は早いものだな…

そんな事をお酒が回って心地の良い思考の中で懐かしむと、何とも言えない顔をしている彼には悪いが、その柔らかな蛇腹は僅かにひんやりとしており、撫でていると、酔って火照っていた私の手に心地の良い感触が返してくれる。

「は…恥ずかしいですから…皆が見てますし…そ、そうです…お水…持ってきますね?」
そう言うと、アドレ君は私の手を優しく持ち上げて、私のお腹へと置き直す。

うぅむ…私のお腹の方が、柔らかいし張っているが、彼も中々ではないか?
アドレ君が直ぐに持ってきてくれた水を飲み干しながら私はそう思う。

「ふぅ…ありがとう」
水で少しばかり酔いが収まったからか、先程より焦点の合う視界の中に写った彼を見て、私は確信する。
あぁ…アドレ君もこの旅の間で、それなりに大きくなったんだなぁ…

我が子の成長を喜ぶ様な嬉しさ。
実際、スカラブ諸島で難民だったこの子を拾っては我が子同然に接し、教育をし、自立出来るまで育ててきたからこそ、そんな風にも思うことも出来るのだろうか。

あのガリガリに痩せていた頃が嘘のようなアドレ君を見ていると、お酒の影響もあるのだろうが、つい感傷にも浸りたくなるも仕方ないのではなかろうか。

身長こそ、まだ仔竜な為、2mと言った所だが、彼はその小さい身体で、大人顔負けの仕事量をこなし、それでいて人当たりが良い。
体重も、当初と比べると随分と増えて健康的な見た目、確かにアズライトなどのベクタから離れた場所の竜から見たら、少しばかりぽっちゃりしていると思われるだろうが、それだって高々1200kg程しか無いのだ、これから大商人として育っていくのなら、それ相応に恰幅良く育って欲しいと思うのは、親代わりとしても、このゴディヴァのオーナーとしても当然だろう。

「あの、フィガロさん。先程は心配してくれてありがとうございます。僕も食事は楽しめているのですが…晩餐会の前から、なんだかネー…エトワール様が少し落ち込んでいるように見えたので…」
水の入っていた空のグラスを受け取ると、アドレ君は少し困ったように私に相談してきた。

「ほぉ…?」
私からすると、食べる事が好きな彼女は、この豪華な食事に囲まれて、とても機嫌良さそうに見えているのだが、アドレ君から見た彼女は落ち込んでいるらしい。

商人として、心の機微に気が付けるか否かは大切な才能だ。
私が思ってるよりも、彼はずっと成長していたようだ。
嬉しさから、つい商人の鋭い目になっていた私は、話の続きを促す。

「ですが、僕にも彼女がどうして落ち込んでいるのか分からなくって…何か良い案をと考えたのですが、見つからず…」
そこで、どうしたものかとアドレ君は言葉を止める。

成程。
落ち込んでいる彼女を励ます方法か…
だが、彼女が落ち込んでいたことに気が付けなかった私が、何か良いアドバイスが出来るだろうか?
しかし、ここで何も言わずに黙っているのは、色々と私の沽券に関わってしまう。

「それなら…彼女と一緒に飲んできてはどうかね?」
苦し紛れと言われたら反論できないが、思いついた案をアドレ君に提示してみる。

「飲む…ですか…お酒を…?僕は未成年ですが…」
そんな私の提案に、彼は何を言っているのだろうか理解できずにいるようだ。
アドレ君は首を傾げながら疑問を示していた。

普段なら、理解の早いアドレ君にしては珍しい。
それ程、悩んでいるのだろうか?

「いや、君は飲まなくていいんだ、彼女にお酒を運んであげる傍ら、その隣で日常会話の一つ二つでもしてあげると良い。悩み事を吹き飛ばすには、美味しい食事と楽しい会話が一番だと…私は思うんでね」
食べる事に関して、竜一倍好きな彼女を励ますには、これが一番だろう。

「なんなら、今日積み込んだ内の三分の一…これ以上は出せないが、メートルアグワインを彼女に振る舞ってしまっても良い」
エトワールさんが大人し気な性格の割に大酒飲みだということは、今までに開いてきた食事の席で分かっていた事。
そんな彼女を喜ばすには、彼女の巨体に酔いが回るだけの大量のお酒が必要になるのだろうが、これも商売の内。
この船に莫大な金額を払っている彼女の為ならば、その程度の出費は痛くない。

「分かりました…!フィガロさん…ありがとうございます!」
アドレ君も理解が出来たのか、お礼を告げると、私の元をすぐさま去っていった。

まだ、少しばかり不安なところはあるが、立派に成長している彼に任せておけば大丈夫だろう。
そう、彼の少しばかり丸い背中を見送りながら、私は引き続きエトワールさんに教わった陣術を使って食事を再開したのだった。

一時間程だっただろうか、そろそろ苦しくなってきたお腹を手で撫でながら、非常に美味であった料理の余韻に浸っていた時だった。

「けふっ…うぷっ…ナイルさんわぁ…やせててぇ…うっぷ…うらやましいですねぇ…」
私の名前が急に聞こえたので、誰だろうと声の元へと顔を向ける。
そこには、白い大きな壁…ではなく、丸々と膨れ上がっていたエトワールさんのお腹があったのだった。

「だ、大丈夫ですか…エトワールさん…?」
元々は、何段にも重なった肉ヒダで、何処の部位かも判別できなかったのに、今では限界まで料理を詰め込み、特大のビーチボールを限界まで膨らましたかのようになったお腹を見ていると、彼女がどれ程食べたのだろうかと心配になる。

それに、何だか普段よりも声が間延びしている。
あぁ、酔っているのだろう。

海風で涼しい筈の甲板で、妙に熱気を発しながら、流れる汗が星々の光で反射し、薄い桃色の皮膚を艶めかしく輝かせている彼女の様子は、明らかに泥酔しているように見えた。

彼女の巨体にアルコールが回るだなんて、どれ程の量のワインを飲んだのだろうか?
甲板の上に無造作に転がされ、中には彼女の肉の隙間に挟まれている酒樽の数々を見るとそんな疑問も出てきてしまう。

何千リットル…それこそ、普通の竜なら一年掛けたって飲み切れない量を彼女は、僅かな時間で飲み切っていたに違いない。

「えぇ…大丈夫よぉ…ひっく…うぅ…ぜんぜん…よってにゃんか…けふっ…」
まだ、こちらが酔っているか聞いていないのにも関わらず、自分から言っている辺りかなり酔っているのだろう。

「アドレ君。悪いけど、彼女に水を運んであげて貰えないか?」
彼女の傍で空になったお皿を片手に、もう片方に新しく作って貰ったのであろう料理を持っていたアドレ君に私は水を運んであげるように伝える。
彼の事なので、酔いが回ってきただろう彼女に水を渡しているだろうが、念の為に頼んでおくことにする。

「アドレ君はぁ…えらいねぇ…ちゃんとおしごとできてぇ…ひっく…何もできない…肉饅頭とはぁ…ひくっ…ちがって…」
アドレ君に水を渡されながら、彼女は彼を褒めているのだが、その声は物悲しく、言っていることも随分と自虐的だ。

「うぅ…水饅頭…ひっく…」
それから、アドレ君に渡された何杯もの水を飲み干した彼女は呟くと、僅かにその巨体を振るわせる。
その全身の揺れに合わせて、特大の白いビーチボール…いや、彼女の張り詰め弧を描くお腹がちゃぽちゃぽと水の跳ねるような音と共に揺れていた。
その光景は、非常に失礼ながら、彼女の言葉通り水饅頭そのもの…

「くぷっ…ちょっとぉ…ナイルさぁん…全然食べてないじゃないですかぁ…そんな量じゃあ…痩せちゃいますよ…もぉ…」
自身の身体を揺さぶって後、悲し気に溜息をついた彼女は、また水を飲み干すと私に話しかけながら、驚くことに移動術式を起動させてこちらに這い寄ってこようとしていたのだ。

一体、どれだけの食事と飲み物が胃に入っているのだろうか…?
そんな張り詰めて、今にも割れてしまいそうな風船の様なお腹が私の方へと近づいてくる。
その何百トン…いや、確実に四桁なんて越えてしまっているだろう巨体から発せられる威圧感は相当な物だった。

彼女が甲板を進むたびに慌てて逃げていく船員達と、彼女の巨体で磨り潰されていく、空になっていた食器類…
正直、私も逃げ出したいのだが、威圧感か…いや、食べ過ぎでソファーから動けなくなっていた私はその場から微動だに出来なかったのである。

「けふぅ…なぁんだぁ…たった70皿しか食べてないじゃないですかぁ…げふっ。そんなんじゃフィードロットの…ひっく…ひっ…仔竜と変わらないですよぉ…」
何と言うか…今まで何千回、何万回とお酒の席を体験してきた私だったが、その中でも類を見ない絡み酒だった。

更に恐ろしい事に、お酒で酔って遠近感覚が鈍くなっているのか、彼女は自身のお腹に私の食事で張っていたお腹が触れるほど近づいても、移動術式を切ろうとしなかったのだ。

涼しい甲板の上では、僅かに湯気すら見えるお酒で火照った巨体を揺らし、蒸気機関の様に口から熱い吐息を吐き出している彼女は、そのまま、その巨体で私を圧し潰すかの勢いで近寄り続ける。

丸々と張ったお腹同士が押し合い、ベクタ相撲の力士でさえ苦戦するであろう私の巨体が座っていたソファーごと、軽々と後ろへと押されていく。

その時、私はこう思った。
彼女がベクタの一般的な肉塊竜でなくて良かったと。
それか、私が痩せ型の竜でなくて良かったと。

もし、そうだったら、私は押されるのではなく倒れ込んでいたであろう、彼女の巨大過ぎるお腹の下敷きになっていたのだろうから。

自身の体高以上に膨れた彼女のお腹に感謝…とは違うだろうが、それに似た感情を思いながら、頼むから止まって欲しいと、私は腕を限界まで伸ばし、城を守る巨大な塀のような彼女の巨腹を押し返す。
しかし、押し返せてる実感は全くなく、返ってきたのは、膨れていながらも、ただひたすらに柔らかな彼女の脂肪の感触だけだった。

「あら…やだ…けふっ。ごめんなさい…ひっく。ちょっと近すぎたかしらね…?」
流石に甲板から押し出される前には、船員達が助けれてくれるだろうが、このまま押し出されたらどうなってしまうのだろう恐ろしくなっていた時、彼女の動きが止まってくれた。

「あ…いや…随分と酔っていらっしゃる様ですから…お気になさらず」
もうそれしか言葉を出せなかった。
必死に笑顔を取り繕っていたつもりだが、それにもあまり自信がない。

「うふふ…ナイルさんも優しいんですねぇ…そんなナイルさんが…ひっく…少しでも健康的に見えるように…私からプレゼント贈らせて頂いても良いかしら…げふっ」
お酒の濃い匂いのするおくびを吐き出しながら、彼女は陣術から何かを取り出し始めた。

彼女が取り出したものとは、アスターゼ草だった。
それは、ベクタでは一般的に常用されている、胃薬の様な物。
その効果は恐ろしく、一口齧れば瞬く間に胃の中の物は消化され、空腹を訴え始めると言う代物。
そんなアスターゼ草を彼女は何束も取り出すと、私へと差し出してきたのだった。

「い、いや…こんなには…で、では…一つだけ…」
私の胸へと押し付けられるように渡されたその束から、私は一つだけ取ると、残りをエトワールさんへと陣術で送り返す。

確かに、空腹感は最大のスパイス故、もう一度このご馳走を楽しめるようになれると思えば、アスターゼ草は最高の物だろう。
しかし、私は手元でアスターゼ草を弄りながら、それを口には運ばなかった。

なんせ、空腹感が満たされた時の快感と言えば、言葉に表すことも出来ない。
その快感を与え続けてくれる、この草は…最早麻薬と言っても過言ではない。
一度、この草の虜になってしまえば、私の身体は瞬く間の間にベクタの肉塊竜の様な巨体になってしまうのだろう。

「うふんぅぅ…食べないんですかぁ…?ひっく…そんなんじゃ、いつまでたっても大きくなれませんよぉ…?」
私の様子を見て、エトワールさんはそんな事を呟く。

彼女にお酒を与えてしまったのが間違いだったのだろう…
しかし、普段おとなしい性格の彼女が、お酒で酔ってしまっただけで、誰がここまで変わると想像できただろうか…

これ以上、酔ったエトワールさんに付き合わされるのは、非常に不味い…
だが、大事なお客様の提案を断るなど…大商人とまで言われた私の沽券が…

そんな板挟みの感情の中、私は意を決してアスターゼ草の先を僅かに齧り取る。
そして、苦心で眉間に皺を寄せながら、何度か咀嚼をし、喉の奥へと流し込む。

それとほぼ同時に満腹で苦しかったお腹がスッっと軽くなった。
やはり、アスターゼ草の効果は恐ろしい。
口の中に溢れていく涎を飲み干しながら、気が付けば私は、後悔から目を瞑っていた。

「アドレ君…悪いが、料理を持ってきてくれないか…?すまないが、ありったけで頼むよ…」
もう何日も何も食べていなかったかの如き空腹感。
私は、先程使っていた移動術式を起動しながら、それだけでは足りないとアドレ君に料理の用意を頼む。

「んふふ…ひっく…良い食べっぷりですねぇ」
私の食べる傍で、私が食べている何倍もの量を、何倍もの速度でエトワールさんは食事をしていた。

何やら、陣術から取り出して、料理へと振りかけながら食べている彼女のお腹は、私が受け取らなかったアスターゼ草を使ったのか、あの突けば破裂してしまいそうだった丸々としたそれは、すっきりと…いや、元のブヨブヨな段に変わっていた。
そのお腹は、先程までの張りが無くなった代わりに、一段毎の肉の厚みが増しているように思える。

いや、実際に厚みも増しているのだろう。
アスターゼ草の真の恐ろしさは、食欲増強などでは無く、草の効果中に摂取した栄養をすぐさま脂肪として吸収してしまう所にあるのだから。

「ひっく…もし、よろしければ…使います?けふっ…」
そう言って、彼女は自身も振りかけていたそれを、私にも差し出してくる。

それは、デーツの実…
小さいながら、まるで香辛料のようにどんな料理に振りかけても旨味が増す実。
そして、その小さい実からは考えられない程の高い栄養は、本来ならば非常食や病院食など栄養が求められる場面で食べられている物。
更に彼女が私に差し出しているのは、そんなデーツの実の中でも、テオブロマデーツと呼ばれる通常のデーツの実よりも効果が高い物。

それを、彼女は、料理に雪が積もっているかのように見えるまで振りかけては、食べるというより呑み込んでいた。

成程…彼女が、ベクタでも類を見ない…いや、随一の肥満竜である理由は、恐ろしい程の食欲だけでなく、そんなデーツを湯水のように食べているからと言うのも大きいのだろう。

「食べないんですか…ひっく…こんなに…美味しいのに…」
それを差し出された私は、今回ばかりは流石に断る事にしたのだった。
そうでなくとも、アスターゼ草によって二回分以上のご馳走を平らげているのだから…

そんな中、この実まで受け取ったら…
それこそ、数日後には自身の重さでこの船を降りなければならなくなってしまうだろう…

受け取られなかったことを寂しそうにしながらも、数秒後には何事もなく食事を再開していた彼女を傍目に私は、二回目の食事で丸々と膨れ、蛇腹の境がはっきりと浮き上がってしまっている自身のお腹を中々届かない腕に苦戦しながら、何度も何度も労わっている。

あぁ…ゲリデルバーのワインが不味いからと辞めたダイエットだったが、これでは、ダイエット前よりも二回りは大きくなっているのではないだろうか…

丸々と膨れ上がり、もう食べられない、動けないな私は、膨れる脇腹によって肘掛が外側へと弾き飛んでしまっていたソファーの上で、満腹から荒い息を吐き出す。

「あぁ…夜風が涼しい」
傍でくっちゃくっちゃと絶え間ないエトワールさんの咀嚼音を耳にしながら、私は何処か現実逃避めいた思考の元、酔いと食べ過ぎで火照った身体を冷やすことにしたのだった。

その食休みの間も、エトワールさんの食事の手は止まらず、夜が更けても、まだ彼女は食事を続けていた。
彼女の再度膨れ上がってきたお腹が、先程満腹だった時よりも更に張り詰められていた私のお腹にまた触れる。

夜風で冷えてきた身体に当たる彼女のお腹の暖かさは、酔いが回り眠たげな私の思考の中、それはまるで揺り篭の中にいるかのような心地良さだった。

そんな揺り篭に包まれながら私は、ダイエットは明日からまた頑張ろう、そう今日の暴食に対して言い訳を最後に、眠気に身を任せた私は、そっと意識を手放したのだった。


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