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カーザ・ミーア

6、メガフロート・ドレイク

「おはようございます!ネージュさん!」
耳元でアドレ君の声が聞こえる。

「うんぅ…もう少しだけ寝てたいの…」
私は、意識半ば、反射的に言葉を紡ぐ。

「そろそろブリザベルクに到着しますよー!起きてください!」
しかし、彼から聞いたブリザベルクと言う単語に私の意識はすぐさま覚醒した。

「えっ…!?」
懐かしのメガフロート・ブリザベルク…
いや、地元の住人はドレイクと呼ぶのだったかしら。
随分と薄れてしまっていた記憶の中、私は自分の故郷に思いを馳せながら、陣術を起動させると周囲を見渡した。

「わぁ…懐かしい…」
そこに写されていたのは、紛れもない私の故郷。

流氷漂う海面、人工島とその上に積もった雪化粧、そのどれもが見ていると懐かしさが湧き上がってくる。
私が居なかった長い間で、所々変わっている場所は多いが、そこは間違いなく、私の知っているメガフロート・ドレイク。

ベクタのセイズモバロ市を出て、ルーク諸島を経由した後、この二週間の旅路の先に私達は、メガフロート・ドレイクに到着したのだった。

「ネージュさんが無事に故郷に辿り着けて…僕もとても嬉しいです!」
雪の混じる潮風が吹く甲板の上で、下船準備をしながらアドレ君は私に声を掛ける。
出会って最初は、お互いに緊張してか、よそよそしかったけど、私もアドレ君も随分と親しくなれた気がする。

そんなアドレ君は乗船中に…僕はスカラブ諸島の出身で…その土地でも一日の食事にも困る様な厳しい場所に住んでいたと教えて貰った事があった。
そんな場所で、彼はナイルさんに拾われたと聞いたが…彼も故郷には思うところがあるのだろうか。
そんな彼の視線は、暫くは私が見ている人工島の方を眺めていたのだが、いつしか、人工島とは真逆のスカラブ諸島へと向けられていた。

「ありがとう。アドレ君。また色々と迷惑を掛けちゃうでしょうけど、これからもよろしくね」
アドレ君は、今回の旅の付き竜として、私がバルハラントで過ごす間も一緒に付いてきてくれる予定だ。

これから、二週間ほど此処で滞在する予定だが、両親ともに居なく、社交的な性格ではなかった私は、故郷に帰ったところで話し相手は少ない。
なので、彼が一緒に付いてきてくれるのは、とても心強かった。

私が、そんな事を思っていると、船員達が慌ただしく停泊の準備をしている中、私の元へと丸いシルエットが近づいてくるのが見えた。

「おはようございます。エトワールさん。無事に貴女を此処までお連れでき、我々ゴディヴァ一同、大変喜ばしく思います」

「こちらこそありがとうございます。帰りもよろしくお願いしますね」
日増しにその丸いシルエットが大きくなっている気がするナイルさんに私はお礼を告げる。

私の気のせいかもしれないが、何だかルーク諸島を出てから、日々、船員達の恰幅が良くなっているような気がする。

目の前のナイルさんは、元から張りのある風船のような見た目ではあったけど、そんな丸かった筈の身体からは、張りが抜けて、代わりに蛇腹の段一つ一つが盛り上がってるし、厚みも増えて、腹下は完全に地面を擦り、歩く時は下腹部を持ち上げながらでないと、満足に歩けないようだ。
とは言え、自力で歩けない私から見たら、まだ自力で、あんなに早い速度で歩けるなんて羨ましいのだけれど…

それでも、羽織っているベストは窮屈そうに張り詰められていて、袖ぐりも何とか腕を通せてるって感じだ…
袖ぐり周辺の糸が何本もほつれて、今にも音を立てて破けてしまいそう。
でも…乗船中していた長くない期間で、唐牛で羽織れていた特注の白衣ですら、食事の最中に破いてしまった私が、他竜の服を心配するのもどうかとは思うのだけど…

そんな、ナイルさんの横で陣術を弄っているアドレ君も、随分と丸々としている気がする。
こうして、二人が並んでいると、もう親子としか思えないが、今の彼は赤いベストを羽織っていなかった。

前の誕生日にナイルさんからプレゼントして貰ったと、私のお世話をしてくれている時に毎回着ていた一張羅のベストを彼が羽織っているのを、ルーク諸島を出たあたりから見ていない。
恐らく、小さくなって羽織れなくなってしまったのだろうか…
もしかしたら、仔竜の成長は早いから、背が伸びて着れなくなっただけなのかもしれない。

それにしても…
船員達の恰幅が良くなったのもそうなのだけれど、最近そんな皆の私への態度が何故かよそよそしい。

ここは、旅客機で無く商業船。
だから、乗り込む前の当初は、充分にお金を払っているから雑には扱われなくとも、無理に乗せて貰った身なので、歓迎はされないのだろうなと思っていた。

でも、実際はそんな予想は大きく外れて、アドレ君やナイルさんを始めとして、皆私に和気あいあいと接してくれていた。

何度も一緒に食事をし、時には甲板掃除のついでに陣術で身体を磨いてくれたり、甲板に寝転がったままだと身体が痛むでしょうからと、私の巨体が包める程の沢山のクッションを贈ってくれたりまでしてくれた皆がどうしたのだろう…

いや、今だって私の体調とか食欲を小まめに気にかけてくれるし、肉の塊である私に対して嫌な顔をせずに接してくれるのだけれど…

確か、ルーク諸島を出て直ぐに開かれた食事会の後だったかしら…
あの晩の事は、よく覚えていないのだけれど、かなりの量のお酒を飲んでいたのだけは覚えている。
その次の日、何年振りかの二日酔いで半日程、頭痛に苦しめられた。

そんなルーク諸島での食事会以降、お酒に関しての話題が出た時だけは、何故か皆、揃って顔を引き攣らせていた。

その後の航行中に開かれた食事会でも、もっとお酒をと頼んでも、遠回しに断られてしまっている。
アドレ君もナイルさんも顔を青白くしながら、ワインの代わりにメートルアグで作ったジュースを必死になって勧めてくれていたのを覚えていた。

そんな事を考えていたら、気が付けば、私をこの船に積み込んだ時にも使われたクレーンが私の頭上に表れていた。
私が、そんな違和感を頭の片隅で悩んでいる間、ゴディヴァの皆の間では、私の下船準備が進められていたらしい。

私は、眼鏡に表示された自分のステータスに目を向ける。
そこに表示されていたのは187tと言う数字。
ルーク諸島で充分に充電出来たので、反重力術式にもまだまだ余裕があった。

それでも、僅かに増えている数値の示すところは、私もこの旅の間で太ってしまったと言う事だが、この程度ならば、ゴディヴァのクレーンも耐えられるだろう。

「気を付けていってらしゃいませ!良い旅を!」

「またよろしくお願いしますねー!皆さんもお気をつけてー!」
甲板の上で、手を振って見送ってくれている船員の皆とナイルさんに手を振り返したかったのだけど、肉に埋もれた手では満足に動かすことも出来無いから、私は代わりに陣術で拡声してお礼の言葉を精一杯伝えたのだった。

「では、参りましょうか…!」
クレーンから降ろされた私の前には、アドレ君が待っていてくれた。

帰郷といっても、もう長い間、居なかったのだから、その間に私と家族が暮らしていた場所はもう無くなっているし…あったとしても今の私では入れない。
その為、私がかつてドレイクに居た時に色々とお世話になったシャイア博士が用意してくれた人工島に帰郷している間、滞在する予定になっている。
だけれども、そこに行く前にどうしても私にはやりたいことがあったのだ。

「ねぇ、アドレ君。私ね…どうしても行きたい所があるのだけど」
人工的に作られた島であるメガフロート・ドレイクの上を移動術式によって這いながら、私の前を歩いていたアドレ君に提案する。

「どうしました?」
私の声にアドレ君は振り向いて首を傾げる。

「その、ご飯食べに行かない?」
折角帰郷したのだから、故郷の味を食べられるだけ食べておきたかった。

だって、正直また此処に帰ってくるのは無理でしょうし…

バルハラント諸島は周囲を冷たい海で囲まれているため、そんな土地特有の海産物は非常に美味しかった思い出がある。
故郷の景色を目に焼きつけておきたいというのもあるけど、やっぱり一番楽しみだったのは、故郷の味だった。

「そうですか。では、最寄りの食事処へ向かいましょうか」
私のお願いを了承してくれたアドレ君は、手早く陣術を弄り、最寄りの食事処を調べてくれる。

そうして、案内を始めたアドレ君の後ろを私は付いていく。
だけれど、普通の竜だったら何の問題も無い、付いていくと言う動作ですら、私にはとても難しくって…

ゴディヴァにいる間に更に重くなっているであろう身体は、術式をフルに稼働させても思ったように進めない。

思うように進めない理由は、重さだけでなく、道幅が狭すぎるからだった。
ベクタと違って、肥満竜すら少ないバルハラント諸島だからだろう、そのあまりにも狭すぎる道路が私の移動を妨げる。

「あ…ごめんなさい…」
そんな狭い道路一杯に広がる私の身体は、時折路上に置かれていた物をなぎ倒し、道を歩いていた竜が私の事を見て避けてくれているのにも拘らず、そのまま私の肉で包み込み巻き込んでしまって…

その度に私は何度も謝っては、バルハラントでは絶対に見ないであろう巨体に目を丸くしながら去っていく竜達の視線を恥ずかしく思っていた。

そんな恥ずかしい思いもしたが、私は、思い出にあった懐かしの故郷の光景を懐かしんでいる。
太りすぎて、全身の肉が盛り上がり視界の殆どを埋めてしまっているから、陣術越しでないと見ることも出来ないのは残念だけど…

陣術に写る大量の漁業船、エーテル生成プラントの蒸気で温められながらも、此処からそう遠くない位置にあるヨーレクタ島の高い山々から降り注ぐ冷気と雪が白く染め濡らしている舗装された地面、家々のどれもが寒さから暖房を付けているのか、彼方此方から白い湯気が立ち上っていて…そのどれもが懐かしかった。

一つだけ寂しいのが、自身の脂肪と言う名の分厚い防寒着に覆われた身体のせいで、本来ならば寒かった筈のバルハラント諸島で、寒さすら感じず、それどころか汗すら出てしまっている事だろうか…

恥ずかしさを感じ、感傷に浸りながらも、私達はドレイクでも評判が高いレストランの近くまで辿り着いた。
その場所は、私が幼い時に何度も両親に連れて行ってもらったお店。
ここならば、存分に故郷の味を楽しめるだろう。

「ふぅ…ふぅ…疲れたぁ」
陣術の力だけで移動しているので、疲れる筈が無いのだが、ただそこに居るだけでも疲れてしまう私の息は荒く、まるでエーテル生成プラントから立ち上る湯気の様に口元からは白い吐息が漏れる。

「お疲れ様でした…では、そうですね…料理は僕がお持ちしましょう」
当然のごとく、ベクタですらお店の中に入れない私は、お店の外…それも随分と離れた広場でないと私の巨体は入りきらなかった為、そこで、アドレ君が料理を持ってきてくれるのを待つことになった。

「はぁ…アドレ君まだかなぁ…」
ぐぅぐぅと怒号のように鳴り響く私のお腹の音が、周りへと反響していくのを恥ずかしく思いながら、私は広場で寝転がっている。

折角の故郷の味なのだから、良く味わえるようにと思って、間食の量は減らそうと努力しているつもりだけれども、どうしても、気が付けば船を降りる時に買い込んでおいた料理を収納術式から取り出して食べてしまっている。

うーん…私って、どれくらいの時間、食べるのを我慢できるのかしら…
一つ、二つと料理を摘まみながらそんな疑問が思い浮かんだ。

三分かしら…そんなに長くは我慢出来ないわね…
フィードロットで暮らす長い間に鍛えられ、大きく強靭になった胃袋と鈍感になった満腹中枢は、そんなに長い間の絶食には耐えられないだろう。

はぁ…早くアドレ君帰ってきてくれないかしら…
雪がちらつく広場を一杯に埋め尽くす柔らかく暖かな自身の肉に埋もれながら、私がそう思っていた時だった。

「お待たせしました!寒くはないですか…長く待たせてしまってごめんなさい…」
アドレ君が両手、陣術、持てる手段を全て使って料理を運んできてくれた。

「え…全然待ってないから大丈夫よ。アドレ君こそ、寒い中運んでくれてありがとう」
実際は、それなりに待っていて、空腹が限界だったけど、私の為に寒い中料理を持ってきたアドレ君に感謝の思いは伝えたかったけど、文句なんて言えるわけがなかった。

私は陣術を使ってアドレ君から食事を受け取る。
早速、口に運んで味わおうかと思ったのだが、その時、私はアドレ君の様子が少しだけ気がかりになる。

「大丈夫?アドレ君。もしかして、寒いの苦手だったかしら…?」
彼の故郷のスカラブは、此処と比べたら暖かいでしょうから、彼にとってこの寒さは辛いのかしら…?
少しばかり、初めて会った時よりも肉付きが良くなったとは言え、痩せた身体では寒さを凌げないのか、普段の優し気な表情は少しばかり強張り、肩を狭め、全身を小刻みに振るわせているのに気が付いた。

「だ、大丈夫…ですよ…」
そう言うアドレ君の声は震え、言葉も途切れ途切れだ。
幾ら、服を着る習慣が薄いとは言え、この寒い中服を着ないで居るのだから、明らかに大丈夫そうではないし、身体だってさっきより震えが増している。

素直な彼の事だから、強がっている訳では無いだろうし、もしかしたら私に気を使わせまいと耐えているのだろうか。

「無理しなくていいから、ちょっとこっちに来てもらえるかしら?」
私はそれだけ言うと、どうしたのだろうと首を傾げる彼に移動術式を使用する。

「ちょっ…!?どうしたんですか…いきなり!?」
移動術式によって浮き上がった彼を、有無を言わせない勢いで私の元へと手繰り寄せると、私のお腹の中で恐らく、一番柔らかい場所へと彼の身体を寝転ばせる。

その様子は、巨大な肉の塊が仔竜を捕食しようとしているかにも見えてしまうだろう。
だけど、勿論、私にはそんな気持ちは一欠けらもなく、私の身体は暖かいから、そんな肉の隙間で彼を温めてあげようとしただけだった。

まぁ…流石に彼とは、それなりに歳が離れているし、こんな肉の塊を女性とは思ってないでしょうから大丈夫でしょう。

「え…ひゃっ…ネージュさん…!?一体何をっ!?」
私の肉に包まれながら、相変わらずアドレ君は驚きを隠せないでいる。
今にも、藻掻いて出て行ってしまいそうな勢いだったが、そうなると分厚い私の肉をどかす為、蹴り飛ばすくらいはしないといけないだろうし、生真面目な彼だからこそ、お客である私を蹴ってまでは出ようとはしないのだろう。

「どう…温まったかしら?少し汗臭いかもしれないけど…そこは我慢してね?」
諦めたのだろうか、それともそんなに寒かったのだろうか、最初は出ていこうと私の脂肪の山を押し分けていた彼の動きが止まる。

「はい…とっても…暖かいです…」
随分と寒そうに強張っていた顔色も良くなり、私の体温が高いからだろうか?
私に包まれている彼の顔は、少しばかり赤くなっているように見える。
そんなアドレ君は、私のお腹を…まるで猫がクッションを”ふみふみ”とするように手で押した後、分厚い肉の段を整えた彼は、そんな肉の間に座り込んだ。

「まぁ…見栄えは良くないけれど…風邪を引いちゃうでしょうから、少しだけじっとしててね?」
確かに見栄えは良くないだろう。
周囲に人がいたら、この光景を見て、肉のお化けが仔竜を取り込んでいるようにしか見えないのだろうから。
だけど、寒さが幸いして、このメガフロート・ドレイクに人通りは少ない。

「じゃぁ、早速食べようかしら?折角の料理が冷めちゃうもの。食べたら温まるでしょうから、アドレ君もどうかしら?」

「はい…いただきます」
そうして、私は、アドレ君の買ってきてくれた料理を口に運び始める。
しかし…

う…こんな味だったかしら…
思わず声に出てしまいそうだった私は、口をきつく閉じ、記憶にあった味と、今食べた料理の味の違いに一瞬顔を顰める。

何と言うか…風味が…旨味が足りない…
無い事は無いのだが、ただ、魚介類の臭みを始めとした雑味が濃すぎるのだ。

不味くはない…そう、不味くはないのだ。
ただ、感動的な程美味しいと感じた幼い日の味には程遠い。

折角この料理を作ってくれた料理人さんにも、運んできてくれたアドレ君にも悪いので、口には絶対に出せないのだが、それでも、想像していた故郷の味との違いに落胆は隠せない。

どうしてかしら…?
店が悪いとは思えない…それなら、これが私の知っている故郷の本当の味なのだろうか…
そこまで考えたその時、私は一つの可能性に辿り着く。

もしかして、ベクタで暮らしている間に身体だけでなく、舌まで肥えていたのかしら?
食に関して、他の大陸に比べて圧倒的に富んでいるベクタ大陸。
その中でも、特に美食が自然と集まるフィードロットでの長い間過ごしていたのだから…
それは、私の舌を肥やすのには充分な月日なのではないだろうか…

それならば、仕方ないわね…
私は、陣術からデーツの実を取り出すと、一つまみ分、料理の上に振りかける。
本当は…故郷の味を変えたくないから、使いたくはなかったのだけど…
折角なら、美味しく食べないと逆に失礼でしょうし…
様々な言い訳の中、私はデーツの実を振りかけた料理を口に運ぶ。

あぁ…これね…この味…うん…
再度口に入れた料理からは、雑味が消え、ただひたすらに魚介類特有の旨味が口の中いっぱいに広がっていく。

すっかりと、フィードロットの味が故郷の味になっている事を寂しく思うも、折角の料理なのだから美味しく食べなければと、新たな料理をアドレ君から受け取ると、そこへデーツの実を振りかける。

「けふっ…どうかしら?アドレ君もかける?」
熱々の料理を冷ましながら食べていたアドレ君に、そっとデーツの実が入った容器を差し出してみる。

「いえ…僕は…遠慮しておきます」
そう言うと、アドレ君は顔を僅かに顔を引き攣らせて容器を私に返す。

どうしてだろう…折角美味しいのに…

彼にデーツの実を勧めたのはこれが初めてと言う訳ではない。
船に乗っている最中…ルーク諸島を出てからの辺りからだろうか、商売は何かと疲れるでしょうし栄養は大事よと、彼に勧めていた。
しかし、何故だか、彼は毎回顔を引き攣らせて、断っていたのだった。

今思えば、それも私が酔いつぶれた次の日からだったような気がする…
あの日、私は何をしてしまったのかしら…

あの晩の事は何も覚えていない…
私の記憶にあるのは、船員達が皆、丸々と膨らんだお腹で仰向けに倒れているのを、私が昼過ぎに目覚めた時に見たと言う事だけだった…

まぁ…味の好みは人それぞれだし…
無理にとは言わないのだけれど。

「ふぅ…くぷっ…」
小さなおくびを吐き出した私は、口の周りについたソースを名残惜しく舐めとる。

私としては、一般的な皿に乗っている量では満足なんて到底できないけど、フィードロットでも無ければベクタすらない此処で、私が満足する量を用意しろと言うのは、あまりにも酷だろう。

「そろそろ、暗くなってきたし…帰ろうか?」
満腹には程遠いけど、残りは帰ってから、ナイルさんから多めに買っておいた三週間分の食料から、足りない分を食べればいいだろう。

私は分厚い脂肪が守ってくれるから大丈夫だろうけど、バルハラントの夜は冷えるから、アドレ君にはあまり遅くならないうちに帰って貰いたい。
私が、そう思っていたその時だった。

「あの…ネージュさん…大変申し訳ないのですが…その…」
アドレ君が、何かを言いたそうに口をもごもごと動かしている。

「どうしたの?まだ食べ足りなかった…?私の分、少しあげようか?」
何か言いたげだけど、言い出せないでいる彼に私は問いかける。

「その…こんな事を頼むのは無理かもしれませんが…もし…良かったら…ネージュさんの所に泊まらせて貰っても良いでしょうか…ホテルを取り忘れてしまって…」

「なんだ、そんな事か。勿論いいわよ。じゃぁ、行きいましょうか?このままじゃ本当に風邪引いちゃうわよ?」
その程度なら、食事を分けるよりもずっと楽だ。

それよりも、大分涼しくなってきた気がする。
私が涼しいと感じるって事は、アドレ君はもっと寒いだろう。

早く、帰ったほうが良い。
私は、急いで術式を起動させて、身体を移動させ始める。

「ふぅ…ふぅ…思っていたより小さいわね…」
無事に滞在中の住居になる人工島に辿り着いた私は、思わず声に漏らしてしまった。

それは…シャイア博士が忙しい研究の合間を縫って用意してくれた物なのだから、文句をいうのは失礼だろうけれど…

目の前にある人工島は、ドーム状の屋根がある半球状の形をした物だった。
だが、その大きさは、私一人がギリギリ入り切るので精一杯の大きさ…

「小さくて悪かったね。僕が用意した場所じゃ不満かい?」
私の身体の下の方…ドームの入口から懐かしい声が聞こえてくる。

「あ…シャイア博士…」
そこに立っていたのは、紛れもなく陣術と理術の権威、そして私の面倒を見てくれ、更に研究中は何かと行き詰った時に助言をくれたシャイア博士だった。

「ほぉ…随分と大きく…いや…丸々と肥えたと言った方が良いのかな…久し振りだなネージュ君」
バルハラント白竜らしく、バルハラント一帯に降る雪のように白い身体。
そんな、真っ白な身体の上に長い白衣を羽織り、赤茶色の短髪に鋭い目。
それは、間違いなく私の知っているシャイア博士の姿。

いや…流石に少し老けただろうか…?
赤茶色の艶のある髪は、少しだけ白髪が混じっているし、雪のような肌も僅かに皺が見える。

「お久し振りですシャイア博士。その…さっきの言葉は…つい出てしまった言葉なので…気にしないでいただけると…助かるのですが…」
私がバルハラントから離れていた長い月日を感じさせる博士を懐かしく思いながら、私はさっきの言葉は聞き流して欲しいとお願いしてみる。

「ふふっ…冗談だよ。それに、ここは冷えるから、積もる話は中でしようか?」
軽く鼻で笑った後、博士はドームの方へと向かっていく。
その顔は、久し振りの再会を嬉しく思ってくれているのだろうか、昔と同じ、柔らかい笑みが浮かんでいた。

「あの…博士…入口が小さすぎて入れなさそうなのですが…?」
博士の用意してくれたドームの入口は、精々ベクタの一般的な肉塊竜がギリギリ入れるといった形で、とても私が入れる大きさだとは思えない。

「そうだね…ネージュ君がこんなにまで大きくなって帰ってくるとは思ってなかったから…まぁ、そんな事もあるかもって準備しておいたから、少し待っていて貰ってもいいかな?」
そう言うと、彼はドームの入口に付いている端末らしきものを軽く弄り始めた。
その途端、ドームの丁度真ん中から二つに割れるように、屋根が外側へと開いていった。

「これで、ネージュ君の大きな身体も収まりきるだろう」
すっかり開ききり、屋根の無くなったドームへと博士が入り、私とアドレ君がその後に続く。

「あぁ、そこの君…気が付かなくて悪かったね。なんせネージュ君の身体に隠れて何も見えなかったもんで…君の名前を教えてくれないかい?」
私とアドレ君がドームの中へ入ったのを、確認した博士は、今度は床にある端末を弄りながら、私の脇に立っているアドレ君に声を掛けていた。

「あの…私は…アドレ=アヴニールです。ネージュさんの旅中の付き人をさせて頂いてます」
そんな声を掛けられたアドレ君は、少しばかり緊張に声を振るわせている。

どうしてかしら…
博士は確かに凄い人ではあるけれど、でも、そんな凄い人には見えないくらい温和で、いつだって優しい笑みを浮かべている竜。
普段、はきはきと声を張りながら仕事をしているアドレ君からは、考えられない声の震え片を少しだけ、不思議に思う。

「アドレ…良い名前だね。ネージュ君の付き竜は…色々と大変だろうけど、僕からもよろしく頼むよ。それでだけど、僕も毎日、此処に寄れるとは限らないから…アドレ君を見込んで、このドームに備え付けておいた機能について軽く教えたいから、少し時間を貰っても良いかな?」

「はい。是非お願いします…!あ、その…これにサインを貰っても良いですか…?もしよろしければ…ですが…その…昔からファンで…」
そう言うと、アドレ君は陣術の中から一冊の本を取り出した。
それは、確か博士が昔書いた本だろうか…

「うん、勿論だとも。アドレ君は嬉しい事を言ってくれるね」
そう言うと、ファンを目の前にして嬉しそうな博士は、本を受け取って軽くサインを書いてアドレ君に返すと、二人でこのドームの操作方法から、陣術についての質問まで、二人だけの世界に入ってしまっていた。

へぇ…アドレ君って陣術の研究に興味あるのね…
それで、陣術、理術に関して、世界的にも有名なシャイア博士を前に緊張していたのかしらね。

それにしても、船内で巧みに陣術を操っている彼の知識量は、成竜だって顔負けな程だったけど…
でも、術式に興味があるなら、私にも色々と質問してくれたって良いのに…
船の上では、ひたすらに食っちゃ寝だったけど…私だって一応、陣術の博士号持ってるんだから…

思わず膨れ面…頬の肉が厚過ぎて膨れていないけれど…をしながら、二人の会話に入ろうかとも思ったけど…止めておいた。
だって、二人は楽しそうで…
シャイア博士何て、まるで自分の一人娘を相手にしている時みたいな笑顔をしているし…

あれ…そう言えば、イムルちゃんはどこかしら…?
父親である博士の後ろをついてきては、周囲の研究者達に陣術の質問をして、その面白い発想と可愛らしい笑顔が素敵だった彼女の姿が見当たらない。

「あれ…イムルちゃんは…?」
思わず、声に出して聞いてしまった。

最近のバルハラントの情勢は、正直危うい。
隣国のジャコール帝国との雲行きが怪しく、正直なところ、いつ戦争が起きてもおかしくない。

その為、世界的な研究者である博士の一人娘…イムルちゃんの身に何かあったのか心配で、つい声に出してしまったけれど、不味かっただろうか…

もし、何かあった後なら、家族としてそんな話は二度としたくないだろう。
だって、私も失った家族の話なんて二度としたくないのだから…

「あぁ…イムルなら…少し前にアズライトの方に預けたよ。まぁ…彼ならば、信頼も出来るし、大丈夫だとは思うよ。実際、元気だって便りが小まめに届いてるしね」

「そう…ですか…安心しました。やはり、ジャコール絡みで…?」
会えないのは残念だけれど、イムルちゃんが無事で本当に良かった。
それに、博士にも家族を失う辛さは味わって欲しくは無かったから…本当に…良かった。

「あぁ…最近、本格的に雲行きが怪しいからね…それにしても…まったく、こんな姿になっているネージュ君に心配されるとはね。それよりも、バルハラントを離れてから、君に何があったんだい…?そんなになるまで…あんなに痩せてた君が…はぁ…」

「あまり…女性に体型の話をするのは…失礼だと思いますよ…?」
正直、太ってしまった理由なんて話したくない。
上手くはぐらかしたかったが、一度興味を持ち始めたら、もう引かない。
それが、シャイア=トーレンスという竜だったのを私は、はっきりと覚えている。

「分かりました…話します…」
こうなったら、もう二度と引いてはくれないだろう。
興味津々になっている、博士の強く鋭い視線に睨まれた私は、もう、お手上げだった。
いや…脂肪で重過ぎる腕はもうあげられないのだけれど…

私がまだバルハラントに居た時から、既に小競り合いが続いていたジャコールに狙われる危険から、自身の研究所を辞めて、世界情勢的に平和なベクタに逃げるようシャイア博士に言われた私は、色々と思うところはあれど、お母さんが一時期暮らしていたベクタへの移住を決めたのだった。

そして、早速飛空艇に乗ってベクタへと降り立った私は、セイズモバロ市の一角に自分の研究所を立ち上げる。
そこでは、農業を始めとした第一次産業が盛んだったから、私の研究もそんな産業の助けになる様に、陣術の自動化に重きを置いて行う事にした。

ただ、既存のマクロ術式と同様に自動化するだけでは、不測の自体に対処できない。
そう考えた私は、何かあった時の為、再生、復旧も兼ねた術式も回路へと一緒に組み込む事にしたのだ。

それは、大変な作業で、何度も回路の見直しをし、術式の符号を組み替えては、最適な組み合わせを何度も模索することになった。
だけど、その成果の甲斐もあって、私の発明した陣術は、既存のマクロ術式とは一線を画す性能になったのであった。

その研究の成果を発表した暫く…私がセイズモバロの生活に充分と馴染んだ頃だろうか。
研究の成果を耳にした竜たちから、フィードロットの広大な地でその手腕を振るっては貰えないかと頼まれた私は、拒否する理由もないし…そろそろ、セイズモバロが狭く感じてきていた所だったので、それまでの研究所を畳んで、フィードロットに新たな研究所を建てる事にしたのだ。

そのあまりに広く、豊かな土壌を見た私は、ここで結果を残せるだけの研究を生み出せるかと心配になったのを今でも覚えている。

だが、そんな土地でも何とか結果を残せた私は、研究で得た膨大なお金を利用して、更に巨大な研究所を建てる事にしたのだ。
そうして、研究を続けている内にあっと言う間に時が流れ…

「待ってくれ、ネージュ君…」
何故だろう…?
突然、シャイア博士は、説明していた私を制したのだった。

「どうしました…?博士に言われた私の経緯を話しているのですが…?」

「確かに、君の研究は見事だったね…慣れない土地でよくやったと思うし、僕も研究を読みながら、勉強させて貰ったよ。でもね…それと、君の体型、どう関係あるがあるのかな?」
自分の研究所で働いていた竜が、バルハラントに住んでいた頃と比べて、100倍の質量になって帰ってきたら、驚くもするし、心配もするし、怒りたくもなるだろう。
普段、温厚な博士が、半ば呆れながら詰問を続ける。

「あぁ…体型…ですか…?それは…ベクタの料理が美味しくって…研究が忙しいと栄養も必要ですし…そうでなくとも研究ってストレスが溜まるじゃないですか…それで、フィードロットに行ってからは、料理がまた一段と美味しくって…じゅる…いつしか研究所に入りきらなくなってて…お金ならいっぱいあったから…それで研究所を改築して…」

「あぁ…成程ね。大体分かったよ。まったく、ベクタに行っても食欲に任せるんじゃないよと…あれ程言っておいたのだけどね…はぁ…」
大きく溜息を吐き出しながら、もう分かったと億劫そうに片手を振る博士。

だけど、私だって、ただ美味しかったからと食に走るような竜ではない…
ちゃんと理由があるのだ…
あまり、話したくないけれど、博士には察して貰いたい。

「だけど…どうしても…食に走るしかないですよ…私だって辛かったんですから…」
そう、私はもうずっと昔…まだドレイクに住んでいた頃を思いながら、何とか言葉を発する。

「あぁ…あの事件か…いや…ごめんね…あれは、僕の管理不足だ…ネージュ君には本当に辛い思いをさせてしまったね…」
どうやら、察しの良い博士には伝わったみたいだ。
それこそ…伝わり過ぎてしまう程に…

「いえ…私もムキになって言い過ぎました…」
博士だって、あの事件の事は気に病んでいる筈なのに、つい言い過ぎてしまった。
ただ、美味しくて食に走ったのも…あるけれど、それだけが理由で無かったと知って欲しかっただけなのだ。
普段、強気で頼りになる博士の表情が、俯いて暗くなっているのを見たかったわけではない。

「そろそろ、帰るとしようかな。長々と居て悪かったね」
暫くの沈黙の後、博士はドームの入口から帰っていった。

アドレ君も私と博士の雰囲気を察して何も話さない。

ぐぅぅぅ…
そんな静かなドームの中で、私の腹の音が轟き渡る。

「あ…」

「ゴディヴァから食料は沢山持ってきてますし、何か食べますか?」

「うん…お願い」
私の為にアドレ君は手早く陣術からベクタで作られたのハンバーガーを取り出してくれた。
陣術の中の特殊な空間で保存されていたそれは、まだ出来立てのように熱々だ。
そんな私の好物であるハンバーガーを陣術越しに受け取ると、私は勢いよくかぶりつく。

あぁ…美味しい。
熱々に蕩けたチーズと、焼きたての肉から溢れた肉汁がソースと絡み合って堪らない。

「お代わり…良いかしら?」
一つで足りる筈もなく、私はお代わりを要求する。
アドレ君は、そう言われているのが分かっていたかのように、私が言ったと同時にハンバーガーを渡してくれた。

「けふっ…ふぅ…お腹いっぱい…ありがとう。アドレ君」
それから一時間ほどで、計328個のハンバーガーをわんこそばの様に平らげた。

「いえいえ、元気がない時は美味しい物を食べるのが一番と言いますから。僕もネージュさんが笑顔になってよかったです」
アドレ君は、相変わらずの笑顔を私に向けてくれている。

何で、この子はこんなにも私に優しくしてくれるのかしら…?

「そろそろ、寝ましょうか?」
別に早起きをする必要のある用事は無いのだけれど、今日はもう遅い。

「そうね…もう寝ましょう」
アドレ君も疲れているだろうし、私も今日はとても疲れた。

私は、稼働し続けていた反重力術式の回路を一つづつ停止させていく。
ズンッ…ズンッ…と増える自身の重さに圧し掛かられ、一瞬呼吸すら辛くなるが、呼吸器系の術式を弄って直ぐに呼吸を整える。

流石は、シャイア博士の作った人工島。
私が本来の体重で乗っても全然問題なさそうね…

そう思いながら、重過ぎる身体の力を抜ききる。
その時に感じたのは、分厚い脂肪の奥からの妙な反発力だった。

何かしら…?
そう思って下に陣術を向ければ、そこにあったのは無数の…ドームいっぱいに広がるクッションの数々。

それを見た私は、嬉しさと…申し訳なさで…目を瞑っていた。
きっと、このクッションは、どんなに私が太っていたとしても、身体を横たえられるようにと博士が用意してくれたものなのだろう…

さっき、博士にあんな事を言わなければ良かった…
そんな思いから溢れる涙を零さない様にきつく目を瞑り続ける。
だって、私は肉塊竜、自分では頬に零れた涙すら拭けない、極限まで太り切った竜なのだから…

そうして、目をきつく閉じている内に、私の意識は夢の中へと落ちていくのだった。


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