フラー教授のゆううつ
3、データキューブ狂想曲
病院からの帰り道、私はまっすぐ洋服屋によることにした。付き添ってくれたマージ家の方々には、先に帰ってもらっている。
病院での一ヶ月は、ほぼ悪夢だった。いや、嬉しくも苦しくもある日々だった気がする。
何しろ、毎日コープ君の持ってくる料理は、本当においしかったのだ。料理がおいしいものと言うことを、ここに来てから始めて知ったような気がする。
その代償として、私は結構なものを失ったが。
「あ〜、これなら2Lサイズですねぇ」
「つ……つーえる……」
店員のあっさりとした一言に私は絶句して、丸く突き出た自分の腹をさすった。
何しろマージ家は、何かと食べ物で気持ちを表す傾向がある。私の体の心配をする代わりに栄養のある食べ物を差し入れし、退院祝いにはもちろんごちそう攻め、しかもお見舞いに来る仔供たちからも手作りのお菓子が来た。
気がついたときには、私の体は入院前以上に太ってしまったのだ。
とにかく自分の体に合うものを買って帰ると、マージ家の煙突から、肉の焼けるうまそうな匂いを漂わす煙が立ち上っていた。
な、何とかしないと、一時帰国して即クビになってしまう。
「あら、先生! お帰りなさい!」
ハリアさんの声に思わず体が飛び上がってしまう。そんな私に姿を、行き過ぎる竜達が不思議そうな顔をして見ていた。
「あ、いや、はは、その、ただいま」
「ご飯、もう用意できてますよ」
断りたい、いや、断らねば。ここで断らないと……
「ほら、何してるんですか、早く早く」
「は、はい……」
あっけなく、私は誘いにのってしまった。おそらく、ベクタに行った同僚もこんな気持ちを味わったのではないだろうか。
すでに同僚ではなくなったろう、見ず知らずの竜に対して、私は深い共感と悲しみを覚えつつ、うまそうな料理の待つ食堂に押し込まれることになった。
「ところで、今年のお祭りはどうなのかしらね?」
食後のお茶とケーキを取り分けながら、ハリアさんがダグラスさんに問いかける。
「ああ、ワシの聞いたところによると、何でもナイルさんが見つけてきたアーティファクトを景品にして、なにやらイベントをやるそうだ」
「アーティファクト?」
私が訪ねると、ダグラスさんはアーティファクトと言うものについて解説してくれた。
「この辺りにものすごい文明が昔栄えていたらしいんだが、その文明が滅んだ後も、まだ使える凄い道具が見つかる。
それがアーティファクトってものさ」
「なるほど」
その解説を聞いて私は思い当たった。おそらくそれは我々が『インダストリア』と呼んでいるものだ。
かつて、このドラゴルーナを含む四つの衛星とドラゴアースに存在した巨大国家で作られていた道具を、本国ではインダストリアと呼ぶ。
この世界では掘り出したものをそのまま使っているようだが、我々はその仕組みを理解して、再生させるところまでこぎつけている。
ファクト君を助ける時につかった重力制御ユニットや、フラグメントなどの通信機器もそのインダストリアの一部だ。
「で、それはどんなものなのかな?」
「いや……良く分からんのだが、きらきら光って、きれいな箱のようなもんで、使い方も全くわからんらしい」
その言葉に、私はどきりとした。もしかすると、それは調べる価値があるかもしれん。
「さ、冷めないうちにお茶どうぞ」
大きなチョコレートケーキと一緒に出されたお茶を飲みながら、私は何とかして、それを手に入れられないか思案をめぐらせた。
次の日、私はその景品とやらが陳列されている大きなテントに向かった。
アズライトは一年に一度の収穫祭を迎える時期であり、それにあわせてさまざまなイベントが毎年繰り広げられるらしい。
今年はナイルと言う、この世界を股にかける商人が出資して、なにやらイベントを行うという。
テントの中にはすでに沢山の竜達が集まり、その中央にガラス製の大きなケースが置いてあった。
その中身を見た瞬間、私は全身に震えが来るのが分かった。
虹色に輝くその箱は、外からの光を受けてきらきらと輝いている。大きさはそれほど無いが、フラグメントと同じくらいのサイズだろう。
間違いない、データキューブだ。
古代超文明時代に使われた情報記憶媒体で、あのサイズならこの星のすべての竜の一生をシュミレーションしたデータを丸ごと収められるだろう。
この世界でアーティファクトとして掘り出されるなら、あの中にはとてつもない価値の情報が隠されているに違いない。
もしかすると、私の探している衛星崩壊の『原因』の手がかりも入っている可能性がある。
『お集まりの皆様、静粛にお願いします。唐突ではありますが、ここで今回のイベントの企画者、ナイル・フィガロさんに、競技の説明をして いただきます』
競技? と私が首を傾げている間に、いつの間にかライトアップされた壇上の上には、巨大な肉の塊が現れていた。
「あ、あー、今回、私が掘り出してきたこれをかけて、今回ある競技を行うことにした。この競技はうちの商人たちや、地元の商店街を活性化 させるためのイベントでもある。参加料は一切無料なので、みんな張り切って参加して欲しい」
なるほど、まさに太っ腹な竜らしい。彼の言葉に感心した私は、次の瞬間凍りついた。
「今回はずばり『大食い大会』で勝負を決めたいと思う!」
な……なんですと!?
「この商店街にある、指定された食堂・屋台・パン屋などにそれぞれチェックポイントをもうけ、そこで決められた大食いを成功させた者に
ポイントを与える。そして、総合ポイントの多かった者が勝ちだ。期限は一週間とする」
辺りがかなりざわめいているが、その大半は競技に対しての意気込みと言うのだから恐れ入る。そして、ナイル氏はこう付け加えた。
「もちろん、この競技には私も参加するからそのつもりで!」
辺りから笑い声が響く中、私は頭の中で、彼の言った一言が頭の中でぐるぐる回っているのを感じていた。
一週間、大食い大会だって!?
そして、競技の日がやってきた。ルール上、競技会場となる商店は、必ず自分の足で回らないとならない。誰かの手を借りたり、乗り物に乗ったら失格となる。
また、自分の料理に味付けをするのは構わないが、他人の食べている料理には一切手を出してはならないし、見つかったら即失格だ。
それ以外は何をやっても良いというその競技は、街中の大食い自慢や、食べるのが大好きな竜達を惹きつけていた。
「まさか、先生も出場するとはね〜」
受付をしていた私に話しかけてきたのは、すでに受付を終わらせていたリガウ君だ。
「いや、まぁ、私は純粋にあの物体に興味があるだけだよ」
「いいけどさ。多分優勝は俺だよ」
自信たっぷりに言い放つが、私は密かに、自分が有利であることを確信していた。
この競技、大食いの竜が有利で、私など相手にもならない様に見える。
しかし、必ず自分の足で移動するという一文が、この競技を公平にしているのだ。もともと太りすぎの竜達は、おそらく競技半ばで自力で動けなくなってしまうに違いない。
ということは、いくら太ってしまったとはいえ、自由に動ける私の方が最後まで競技に参加していられる可能性がある。
問題があるとすれば、ここで太りすぎてしまったら、キューブに書いてあることがどんな内容であれ、本国でひどい目にあうということだ。
まぁ、そんなことを言っても始まらない。手渡されたメモを頼りに、私は最初の競技が開催される場所に向かった。
「うわぁ〜……」
そこは大通りに面したケーキショップで、すでに道一杯に広がった竜達が、口中をクリームだらけにしてケーキをほおばっている。
競技内容を記した看板には『うちの全メニュー、すべて制覇したら5ポイント』と書かれている。
「んじゃ、先生お先〜」
リガウ君はすばやくテーブルに付き、注文を始めてしまっている。負けてはいられない、なんとしてもキューブは私が手に入れなくては!
その一時間後。
口いっぱいに広がった甘ったるい味を消すように、私はアスターゼ草を口に入れた。
気持悪さが消えて何とか次の店に向かう気力が回復する。その隣を歩いていたリガウ君はいつの間にか合流していたコープ君と、なにやら言い合いながら口の周りに残ったクリームをなめ取っている。
「あ、先生、あれがつぎの会場みたいだよ〜」
焼肉の煙が風に乗って押し寄せてくる。その匂いをかいだだけで、せっかく治りかけた胃袋が、またむかむかしてくる。
焼肉を百皿食べたら5ポイントか、読んでいるだけで気持悪くなってきた。
「よーし、コープ、俺と勝負だ!」
「分かったよ〜」
早くも焼肉を焼き始めた二人を尻目に、私は口直しの野菜から先に焼き始めていた。
結局、その日一日のポイントを10ポイントにしただけで、家に戻ってきてしまった。あんな胃袋のお化けに付き合って、勝てるわけが無い。
とにかく競技は総合ポイントだ、何とかして明日から頑張っていこう。
そんなことを考えつつ、私はアスターゼ草をもりもりと噛み砕いた。
次の日は、なんと競技場所がマージベーカリーだった。
サンドイッチを三十食食べたら5ポイント、どうもポイントは基本的に5ポイントだけらしい。私が起き出した頃には、すでにコープ君たちが
三十食目のサンドイッチを食べ終わってお腹をさすっているところだった。
「せんせぇ〜、おそいよ〜」
「俺たち、もう食い終わっちゃったぜ〜」
だが、そのお腹はすでに二日目にしてかなり膨らんでいる。何とか椅子から立ち上がろうとしているが、少しも動く気配が無い。
頷くと、私は目の前に置かれた巨大なそれを見つめた。
サンドイッチという言葉からイメージされるような、かわいらしい代物ではない。四枚切りのパンを間に挟みつつ、ハム・チーズ・サラミ・レタス・トマト・ピクルス・ツナ・照り焼きチキン、とにかく数え上げればきりが無い具が、何段も重なっている。
味は十分うまいはずだが、量がものすごい。
だが、私は何の気なしにそれを口に入れて、ペロっと平らげてしまった。なんだか今日は胃袋の調子が良い。
続いて二食、三食と食べるが、全然平気だ。
「ハリアさん! どんどん持ってきて!」
私は大声でお代わりを要求した。この調子で、次も頑張らねば!
サンドイッチを詰め込み終わったあと、私は動けないままじたばたしているコープ君たちを尻目に、次の店へ向かった。
歩いている間に胃腸薬を食べて行くと、どんどんお腹が軽くなった気がしてくる。本当にこれは良く効く薬だ。
そうして、次の店は学校の近くに店を構える定食屋だった。
「はーい。ここは定食二十食で5ポイント、三十食で10ポイントでーす!」
ウェイターらしい女の子が声を張り上げている。何故三十食で10ポイントなのか、それはこの店の一食の多さだ。
お茶碗はラーメン丼級、魚のフライの定食なら、キャベツは一玉、フライは五匹は当たり前と、とにかく量が多いのだ。お腹をすかせた学生達には大うけだが、さすがにコープ君の家で食べてきた分を考えると、無理はできそうも無い。
「はい! 三十食達成でーす!」
その声に驚いてテーブルの一角を見ると、頭にバンダナを捲いた青年竜が、大きなお腹をさすりながら、ガッツポーズをとっている。
まずい、私は少なくとも一日目に10ポイントしか稼いでいない。と言うことは、ここで余分にポイントを取れるチャンスは逃すわけには
いかない。
アスターゼ草を再びほおばると、私は早速一食目を注文することにした。
三日目の朝、私はいきなり目が覚めた。
昨日は結局定食屋で10ポイント稼いだだけで終わってしまったし、今日はもう少し食べなくては。
それにしても、どうも腹が減ったな。目が覚めたのも空腹のせいだろう、腹の虫がぐうぐういっている。
服を着ると、私はそのまま次の会場へと歩いていった。次は、なるほどミドガル料理か。
会場になったのはしゃれたレストランで、何となく高級感が漂う。ミドガル料理はミドガルズオルム大陸の都市部で広まった料理だ。上品な味付けと都会風の洗練された料理は、大食い竜達よりカップルに人気がある。
ここでの競技は……一食食べたら20ポイント?
席に着いてみて、私はその異常な高得点を理解した。
テーブルマナーがうるさいのだ。食器の使い方や行儀作法を間違えるとすぐに失格となっている。なるほど、これは見た目や食べ方を気にしない竜にとっては、かなり厳しい競技だろう。
大食いではないが、競技全体から見れば「たくさん食べた」数に入るわけだし、問題は無い。
当然といえば当然だが、私ほどの洗練された竜となれば、マナーなど破るわけが無い。軽くクリアして昨日の遅れを取り戻した。
しかし、なんだか腹が落ち着かない……次の競技会場はどこだ?
ふと見ると、近くにタイヤキの屋台がある。競技会場ではないが、とてもうまそうな匂いが漂っていた。
「あー、すまんが、そのタイヤキ、五十個くれんか?」
「へい。まいどー」
私はタイヤキをほおばりつつ、次の会場を探して大通りを歩いた。ふと見ると、黄色い看板のカレーショップに競技会場の札が立っている。
最後のタイヤキを飲み込んで、ついでにいつものアスターゼ草を口に入れると、早速カウンターに座った。
少し腹がつかえるが、まぁ、座れないことは無い。
「ここはどうすればポイントがもらえるのかな?」
「大盛りカレー、二十食食べたら5ポイント、それから五食食べるごとに5ポイント追加だよ〜」
頷くと、私は早速大盛りカレーを注文した。大きな皿に載ったそれをあっという間に平らげると、お代わりを注文する。
二十皿を越えた辺りで、少し腹がきつくなってきた。すかさず草を食いつつ、さらにお代わりを要求した。
皿がどんどん目の前に積みあがり、やがてその数が五十皿になったところで、私は席をたった。
まだまだ食べられそうだったが、いい加減カレーは飽きたし、ちょうど良いだろう。35ポイントも稼いだしな。
パンパンになった腹をさすりつつ、もう手放せなくなったアスターゼ草をかじる。これさえあればどんなに食べても平気だ。
なんだか、また腹が減ってきたぞ……ホントに怖いくらい効くな、この草は。
次の競技会場を探しつつ、私は通りをうろついた。ふと見ると、ホットドッグの屋台があった。競技を開催しているわけではなさそうだが……
「すまんが、そのホットドッグ三十個貰おう」
「へい! それにしてもお客さん、大食い競技にでてるんでしょ? うちはアレに参加して無いんですけど、いいんっすか?」
店員の心配そうな顔に向けて、私は笑顔で返事をした。
「このくらい食べても、どうと言うことは無い。私には強い味方がいるしな」
そうだ、この草さえあればどんなに食べても問題ない。それより今は、このすきっ腹を何とかしなければ……
ホットドッグをほおばりつつ、私はにやりと笑って見せた。
「おい、そのチュロスも十本くれ!」
それから、私はとにかく食べに食べた。海鮮丼や特大ピザ、ラーメンにパスタなどなど、こんなにうまいものを食べまくったのは生まれて
初めてだ。
もう四日目からは次の日が来るのが待ち遠しくて、眠れなかったくらいだ。
うまいものを食べるということがこんなに嬉しいとは思わなかった。
そして、七日目の朝。
私は寝床から体を起こした。なんだか動きにくいが、なんとか床に足を下ろす。動くたびに鼻から息が漏れるが、このごろどうもそういうことが多い気がする。
クローゼットをあさると、私は適当に服を選んではおろうとした。しかし、袖に腕が通らない。
そこで、私はふと気がついた。どうしてこの服はこんなに小さくなったんだ?
いつの間にか、手にはぽってりと肉が付いて、腕もハムのようにむちむちしている。
突き出た腹はパンパンに膨らんで、まるでコープ君かハリアさんのようだ。
大急ぎで洗面所に向かおうとして、部屋のドアに体が引っかかった。
「く、くるしい、抜けない……」
なんとか息を詰めて腹を引っ込ませると、私は洗面所に入って鏡をのぞいてみた。
そこには、丸々と太ったボールのような体型の竜がいた。
あごの肉はたるんで二重になり、ほっぺたも風船のようだ。首も肉にうずもれてほとんど見えなくなっている。
足や尻尾にも無駄な肉がついて、膝やかかとの骨も見えなくなっていた。
「……大変だ……」
思わず蒼くなったが、こうなっては今更仕方が無い。とにかく今日から競技には参加しない様にしなくては。少なくとも、ポイント的には私は上位に入っているのだ。
「先生〜。おはよう〜」
にこにこして声をかけてくるコープ君は、すでに競技参加を諦めたらしい。パンパンに膨らんだお腹は少しましな状態に戻っている。
「先生、もうすぐ優勝だよ。今日も頑張ってねぇ。応援してるから!」
「い、いや、その……」
「先生、朝ごはんできてますよ」
追い討ちをかけるように、ハリアさんの声がする。そういえば四日目から、朝ごはんも食べていくようにしてたんだっけ。
食卓の上にはすでに料理が並んでいる。始めてこの家に来た時、とても食べられないと思ったその料理の数々が、今なら自分だけで全員分を食べきれそうな気がする。
それに賛成するように、腹の虫がぐーっと、鳴いた。
「さ、先生」
「いや……私は……」
自分の意思とはかかわりなく、体はいつの間にかテーブルにすわっている。蜂蜜とバターがたっぷり塗られたトーストはほかほかと湯気を立て、とてもうまそうだ。
「さぁ、冷めないうちに」
「私は……」
こうなったら、もうどうでも良い。勢い良くトーストを掴むと私はあっという間にそれを口に放り込み、大声で言った。
「ハリアさん、お代わり!」
その後、ベクタ竜の肥満の原因は栄養価の高い食事だけではなく、例のアスターゼ草にあると私は知った。
あの草は胃腸の調子を良くするのと同時に、竜の食欲を増進させる効果があるのだ。そのためにアレを食べ続けていくと、どんどん大食いなってしまうというのだ。
しかも、アスターゼ草は栄養を吸収させやすくするために、食べた物が脂肪として蓄えられやすくなるらしい。
だが、もう遅い。アスターゼ草の魔力から抜け出すことには成功したが、私の体はコープ君に引けを取らないほどに太って、大食漢の竜になってしまっていた。
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