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フラー教授のもしも −ベクタへ移住編−

第三章 ヘリオトロープ

  *ヘリオトロープ(Heliotrope)
    木立瑠璃草(きだちるりそう)や香水草(こうすいそう)、匂紫(においむらさき)と呼ばれる花。
    花言葉は、熱望、愛よ永遠なれ。 <雑学花言葉より>


カーテン隙間からは、木漏れ日のような一条の光が寝室を微かに照らしていた。
その微妙な変化を感じ取ってか、私の体はようやく目を覚ました。
私は暫くベッドの上で無になって、それからベッドを滑るように降りて立ち、寝室を出てダイニングへと向かった。
するとそこには既に、リビング左側の部屋から起きたソフィアさんがいた。
「おはよう、フラーさん」
「ああ……ソフィアさん、おはよう……それにしても、テーブルに乗っているのは?」
「フラーさんがなかなか起きないから、先に朝食の準備をしていたの」
「へぇ。ソフィアさんは料理が出来るんですね?」
「まあね。陣術があるから、結構簡単なのよ?」
そう言ってソフィアさんは、私をテーブルへと拱いた。私は招かれた椅子に座り、そしてその向かい側にはソフィアさんが座った。
そして「いただきます」を合図に、私達は朝食を食べ始めた。
用意されていた料理は、巨大なサンドイッチにドーナッツ、それに巨大ボウルに添えられていたてんこ盛りのサラダだ。
「そういえばフラーさん。昨日の話では、あなたは農業をやろうと思ってるんですって?」
「ええ。ただ、予想以上に地価が高くて……正直他の職業に就こうと思ってるんですが、
何せベクタには教育機関が無いですからね。私としてはかなり厳しい状況です……」
「ならあたしの畑を使ってよ。あたし、これでも一応農業やってるのよ?」
「え、本当ですか!?」
「本当よ。ここから大陸鉄道オービスを使って二駅――まあ、大体二時間半ぐらいね。そこに畑があって、あたしの家もそこにあるの」
「そうだったのか……だけど良いのかい、私が使っても?」
「勿論よ。だってかなり広いし、あたし一人でも十分過ぎる大きさだから」
「うーむ……それなら、喜んで使わしてもらおうかな?」
「そうして。その方があたしとしても農作業が楽になって良いし!」
「ありがとう、おかげで助かったよ。……それにしても、良く畑を買うことが出来たね?」
「実はね、あたしがお世話になった所は農業家だったのよ。その関係で、あたしが独立しようとした時に畑を譲与してくれたの」
「なるほど……」
天佑神助あってか、私は奇跡的に畑をもらう――というか借りることが出来た。それは私を、表現不可の歓喜へと誘(いざな)った。
何せ私は農業のことしか頭に入れてなく、途中で他方へ切り替えるのは、ベクタの教育機関の問題もあってかなり厳しかったのだ。
私は今、これで本当にベクタ生活がスタートしたんだ、と悦に入った。
家を持ち、職を持って――それに、ここにはソフィアさんがいるから――これからの暮らしが楽しくなりそうだ。

朝食を食べ終えた私達は、ソフィアさんが所有する大陸鉄道沿いの畑を訪れた。
およそ二時間半の小旅はなかなかつまらなかった――訳は無い。
何分元は同じ職場で働いていた者同士だし、それに私は何故だか、ソフィアさんとは息が合う気がするのだ。
彼女の積極的な性格は、私の性に合い、それはまるで、そう、私とソフィアさんは――
(……何を考えているんだ私は……少しばかし、興奮し過ぎてはいないだろうか? いやはや平常心を保たねばな……)
「……そういえば、フラーさんって……」
列車を降り、駅の改札口を出で、ソフィアさんの家へと向かっている時だった。
「私よりも太ってそうね。体重は?」
「ぇ?」
唐突な質問に私は足元をすくわれてしまった。
「そ、そうですねぇ……最後に学校で身体測定をした時は、確か2.2tだったと思います」
「ふーん……てことは今じゃ、それよりも重いのは明らかでしょうね」
「お恥ずかしながら……」
「ちなみにあたしはちょうど2tよ。……どうやら、フラーさんはちゃんと抑制しないと後々大変なことになりそうね」
「た、大変なことって?」
「あら、知らないの? ここベクタに派遣されたスフィアの方のこと?」
「いや……」
「このベクタに派遣されたのは、あたし達だけじゃあない――それはご存知よね?」
「勿論」
「それでね、あたし達意外にも実はベクタに住んでいる者がいるのよ」
「本当ですか!?」
「ええ。名前はブラッブ・バーっていうんだけど……それはちょうど、あたしがまだスフィアに属していた頃の話よ。
たまたま町中を歩いていたら、どこからか”スフィア”という言葉を聞いたのよ。その言葉だけは確実に認識出来たわ。
だけどその声の主は認識出来なかった。だって辺りには誰もいないんですもの……けど空耳じゃあ無い、そう思ってた時に分かったの。
実はね、その声の主は目の前にいたのよ。それはあたしが最初何かのオブジェだと思ってたもの……だけどそれが――」
「ブラッブさん、という訳ですね?」
「そう。そして肉塊竜でもあった……あたしは彼に問いかけてその名を知ったわ。……驚きよ……何せ彼は、あたしの幼馴染なんだから」
「――! そ、そうだったんですか……ちなみに、彼は元々どんな方だったんです?」
「フラーさんよりも痩躯で、身長も高く、俗に言うノッポってやつね。なかなか堅固で無垢な竜だったわ」
「そ、それが今は……」
「そりゃもう超肥満竜よ。そして考えることと言えば食べることだけ――おかげで彼の体重は優に20tを超過していたわ。
本当、恐ろしい容姿よ。だって普通のベクタ竜でもあんな風な神経にはならないわ……恐らくは、ベクタ竜ではないからこそでしょうね。
本来とは違う生活環境に順応する時は、その終着点へ加速度的に体の慣れが進行することによって行われる……」
「……そして、スフィアとベクタとの間には、恐ろしいほどの環境差があった。加えて彼の生真面目な性格も、それに拍車をかけた……」
「その結果、加速し過ぎた速度は終着点を飛び越え、そのままさらなる加速を続けた。何故なら動きの軌跡は二次曲線の如く動き、
そして終着点はその曲線の極点である。故に唯一の終着点以外の所は全て加速点。減速を行うのは、過去の環境の揺曳を保守する力」
「その力は、自制と外部からの仕事による反作用……なるほど彼は極点を離れ過ぎた為、自制心では加速を止めることは出来なかった。
そして二つ目の減速要素である外部からの仕事、それはつまり”ベクタ竜達からの減量指示”――不可能だったんだ……」
「そう言うこと。そしてそれはつまり、ここでは自制心が唯一の減速要素だってこと。それを失えば、ベクタ竜をも超越するでしょうね」
「……」
「とりあえず、フラーさんもそんな風に自制心を失わないようにしてね? 勢い付いて太ることが何よりも恐ろしいことだから」
「……正直、私の太り方も結構勢い付いているものがあるなぁ……。何せアスターゼ草に食らい付いてこんな体になったんだし……」
「――! それは良く無いわね。何せそのアスターゼ草はただでさえ過ぎた効果を持つのに、それをかっ食らうなんて……
その場合、オーバーフローした効果が後々反芻作用として再発することがあるから危険なのよ、分からなかったの?」
「いや、考えれば分かるが、その時はただの胃薬かと……その草がまさか、そんな効果を持ってるなんて知らなかったから……」
「……まぁ、これからその作用が起きないことを祈るわ」
「はい……」
「……ふふ……そういえば、どうやらあたし達はまだスフィア時代の癖が抜けないのね。気が付いたら理論的な話をしてるじゃないの」
「は、はは、確かにそうですねぇ……」
私はソフィアさんの言葉を、上の空で聞いて応えた。この時私は先ほどの会話からあることを思い出し、そっちへ意識が行っていたのだ。
ソフィアさんが言っていた反芻作用――実はこのことに関して、私は思い当たる節があるのだ。
それは私がアズライトにいた頃、あの大食い大会で優勝して数ヵ月後の、コープ君とリガウ君とで食べ歩きをしていた時のことだった。
その時は何故か無性に腹が減っていて、私は辺りにある全屋台のメニューを全て食べ尽くしたのだ。
それはまるで、あの大食い大会に再度参加したような勢い――そのあまりの勢いに、リガウ君が感動していた――であった。
考えて見ればあれは明らかにおかしい……それこそ正に、ソフィアさんが言及した反芻作用に違いない。
……てことは、私もブラッブさんのような肉塊竜の領域へと入ってしまうのだろうか。
正直私はもう太ることに関して抵抗は覚えないが、ソフィアさんの話を交えて肉塊竜のことを考えると、さすがに躊躇うものがあった。
「……何をそんなに考えてるの?」
「あ……いや、その、ちょっと思い当たるところがあったもので……だからちょっと、そのことに関して考えてみようかと……」
「まっ、要は普通にベクタ竜と同じ生活をやってれば良いってことよ。下手に食べ物に固着しないようにしてね」
「なるほど……」
「――あ、あれよ! あたしの家はあそこの建物よ」
ソフィアさんが指差した先――それは一般的な農家の家だった。勿論大きさはベクタに合わせてある。
そしてその周辺広がるのは、ソフィアさんが所有する畑の数々――そしてそれは、どれもとてつもなく広かった。
さすが、自国で生産した食糧を自国で賄うだけではなく、他国へ出荷するだけのことはある。きっとそれに見合った大きさなのだろう。
……私はこれから、ソフィアさんと一緒にこの畑で働くことになるのか……
その時はきっと、私は働くという観念を持たずに楽しく過ごすことだろう。何故なら私は、あのソフィアさんと一緒にいれればもう――
「い、いかん……何を言ってるんだ私は……」
「? 何か言いました?」
「あ、いや、何でもない――それじゃあ……私に農業の手解きをしてくれないかな?」
「ふふ、勿論よ、フラーさん」

エルと農業暮らしを始めてから数ヶ月が経った。
今の私の一日は、まずエル手製の朝食を食べ、それから彼女と共に陣術を使って畑仕事――これがまた楽!――をして、
途中昼食を取ったりしながら畑仕事を終えた後、それから寝るまでの間をエルとの夕食と会話の時間に費やしている。
そしてとある日のこと、私が昼食を取っている時だった。突如、エルがこう切り出した。
「フラーは、あたしのことどう思ってるの?」
「ぇ!?」
この時、私達は既に互いを呼び捨てで呼び合う仲になっていた。
だが、まだそこまでであり、決してこの当たり前なフレーズにまでは達してはいないはずだった。
それなのにエルは、いきなりそんな質問をしたのだ。
「ど、どうって……それは、とても良いと思ってますよ?」
「それだけ?」
いつもは互いに会話しながらも、確実に昼食を頬張っているこの時、今回だけは食事の手を互いに休めていた。
エルの、何かを待ち望む目が私と合った。
「い、いやぁ、そのぉ……」
照れの仕草をしながら、私は顔を火照らせた。そんな状況で暫く沈黙していると……
「ねぇ……あたしのこと、好きなんじゃないの?」
「――! い、いや、そ、そんなことはな――い、いや、あ、あ、その――」
「ふふ……フラーって、からかうといつも面白いのね」
あー、またエルにやられた!
混乱に弱い私を、エルはここぞとばかりにその弱みにつけ入り、私をからかうのだ。
「全く……そんなに私をからかうのが面白いのかね?」
「だって、フラーってかわいいんだもの」
「な、何をいきなり言って――!」
私はついに耐えかね、仕事場へと戻ることにした。
その途中、後ろから私を見るエルの視線が痛く感じ取れた。……やはり、きっぱりと物事を言うべきだろうか……

私とエル、互いが仕事の終わりを向かえて、私達は共に夕食を取っていた。
だが、まだ昼の出来事が尾を曳いているせいか、私とエルの間には珍しく気まずい雰囲気が出来、未だに一言も喋っていない状況だった。
そんな静寂が暫し流れた時、エルが先陣を切ってこう言い出した。
「……ねぇ、フラー?」
「……なんだい?」
「……さっきは、ごめんね。ちょっとからかい過ぎちゃったようで……」
「……い、いや、大丈夫だよ、エル……」
私は密かに手中に潜めていた箱を確かめた。中は、光を全て反射して輝くダイヤの指輪があった――そう、私は既に準備をしていたのだ。
しかしながらうまく事を言い出すことが出来ず、結局今の今までずるずると足を引きずっていたのだ。
だがもう、ここまで来たら言うしかない……今日は、私の竜生の中で、あの体型の激的変化以上のビッグイベントなのだから……
私は指輪を入れた箱を、こっそり掌で玩びながらエルに言った。
「なぁ、エル……実はな……」
「……なぁに?」
ややエルの声の調子が変わっていた。どうやら彼女も私と同じ気持ち――竜生のビッグイベントに遭遇する気持ち――のようだ。
「実はな、その、あの……」
「……何なのよ? はっきりしなさいよ」
「そ、その、だな……わ、わ、わた、私は――」
――ガタン!
(し、しまった!)
私は玩んでいた箱を手から滑らせ、床に落としてしまった。
慌ててそれを拾おうとしたが、運悪くそれは、エルの足元へと転がって行った。
「……何よ、これ?」
「そ、それは――」
エルが足元にある箱を拾い上げ、それを一寸の躊躇いも無く開けた。
その刹那、エルの顔には、これまで見たことも無いような驚き顔が表れた。
「な、何よ……この、ダイヤの指輪は……?」
「そ、それはだな、その――わ、私、え、え――エルのことが好きです! だから、けけけ、結婚を、そ、その指輪が、結婚の――」
「――ぷっ……ふふ、いつもあたしのことになるとしどろもどろになるのね、あ・な・た?」
「え、そ、それはだな――って、”あなた”って……え、そ、それって――!?」
「もう……肝心な時に頭が冴えないのね――あたしが結婚しても良いって言ってるのよ」



軽快な結婚式のパレードが辺りに鳴り響く。私は妻となるエルと共に、幸福のバージンロードをゆっくりと着実に進んでいた。
「おめでとう、フラーさんよ!」
「おめでとう、フラーさん!」
横の長椅子から、ダロンさんとティファールさんの声が聞こえて来た。
私はその他諸々の歓声を聞きながら、エルと共にさらに歩を進めた。
「貴方? あたし、まさかここで結婚出来るとは思わなかったわ」
「私もだ、エル」
祭壇の前に着いた。神父様が誓いの言葉を述べ、そして私はエルの足元に落とした、あの箱に入っていた指輪をエルの薬指に嵌めた。
そしてその後、私達の挙式は華々しく幕を閉じた。

――そして、その後のお楽しみ……パーティーの始まりだ!

「いやぁ、まさかフラーさんが、こうも早く結婚するなんて思わなかったな!」
口一杯に食べ物を詰め込み、もごもごしながらダロンさんが言った。
「そうねぇ。それこそ電撃結婚よ――私も、そんな結婚して見たいわ!」とティファールさん。
「いや、運が良かったんですよ、私達は」
「だけどうらやましいな。俺も早く結婚がしたいもんだな! そうすれば妻が豪華絢爛で千万無量の料理を作ってくれるのに……」
「そんなことを言ってるってことは、鯨飲馬食するってことよね?」
口語パターンを真似て、ティファールさんがダロンさんに言い返した。
「う……そ、そうだよなぁ……そしたら俺、簡単に肉塊竜になっちまうもんな……もぐもぐ……」
「……そういえばダロンさん。ダロンさんって、確か食事制限をしていませんでしたっけ? 今日はやけにがっついて見えるのですが?」
「んぐ? あぁ、こういう時は別。普段は気を付けるが、こういう時は料理が勿体無いだろ? だから俺がきっちりと食べてやるのさ!」
「なるほど……」
「フラーさんも、せっかく式を挙げたんだから――しかもこれはフラーさんの挙式なんだし、もっとパァーっといったらどうだい?」
「そうよ、貴方。今日はあたし達の一大記念日なんだし、この時ぐらいはあなたの抑制を解除しても良いんじゃない?」
「そ、そうだな……よーし、今日は久々に飯をガッツリ食うとするかな!」
「そうそう、その意気だ! さぁて、俺も早く料理を食わねえとな。滅多に無い豪華料理を無駄にしちゃあいられないぜ!」
そしてダロンさんは立ち去り、隣の最も大きいテーブル料理へと向かった。
走るダロンさんのでかい腹は左右に大きく揺れ、背後から見てもその腹の揺れが明瞭だった。
そしてテーブルに着くと、大きく弛んだ二の腕を料理の方へと伸ばし、手当たり次第に料理をかっ食らっていった。
その豪快さと言ったらもう――とにかく口の中に限界まで食べ物を詰め込み、その一部が口の周りの食べかすとなっていった。
(……ダロンさんも、時期に肉塊竜になってしまうのだろうか……?)
……まあ良い。ダロンさんが先ほど言った通り、今日はせっかくの記念日なんだ。考えごとなんてせず、今日だけは豪快に行こう!
モチベーションが上がった私は、近くの小型テーブルへと向かい、ダロンさんと同じように手当たり次第に料理を頬張っていった。
一つのテーブルを制覇すると、私は満面の笑みを湛え、大きく膨れたお腹をポン、ポンっと二回叩いた。
すると自らのお腹が気持ちよく揺れ、私はその快感に浸りたくなったが、それよりも他のテーブルの方が気になったので諦めた。
最初は小型のテーブルだったが、徐々にその大きさを変えて、最後は三番目に大きなテーブルまで行くことが出来た。
ひとえにそれは、数多くのベクタ竜が既にあらゆるテーブルの料理を少なからず平らげていたせいもあるのだが、
実際のところ私は、それを考慮してもいつもより何倍もの料理を食べていたのだ。これが俗に言う、幸せ太りの前兆なのだろうか。
しかし私はあまりにも食事に夢中になっていた為、その事実には全く気が付かなかった。
「ふぅ――げふ……あー、食った食った」
ダロンさんがそう言って、大きなお腹に手を添えながら――というか乗っけているのかも知れない――私の所へ近づいて来た。
そのお腹は、もはや限界を主張しているかのように大きく、そして真丸く突き出していた。
あのぶよぶよして何重にもの重なった肉を持つダロンさんのお腹は、既に別の形を形成しつつあった。
「随分と食べましたね、ダロンさ――」
「ん、何かおかしいところでもあるのか?」
「あ、いや……もうダロンさんは腹一杯に見えたんですが……」
「あー、まあな。だけどもうちょっと食えそうな気がするんだよ。こういう時はちょっと無理をしたいものなのさ」
「そうなんですか……」
ダロンさんは一番目、二番目に大きなテーブル料理を全て制覇した後だったが、それでも尚料理を食べ続けていた。
良くそこまで食べれるなと思ったが、そんな私も、実は既に相当な量を平らげているのに今更ながら気付いた。
ふと、私は自分の服が窮屈になっている感覚を覚えた。
意識を食事から現実へ移したせいだろうか、その窮屈さは、無視しようにも出来ないほどのきつさだった。
私は自分が今着ているタキシードを見た。するとそこには既に半分のボタンが弾け飛び、今にも引き裂かれそうなタキシードがあった。
これはまずい……さすがにそろそろ食事を止めないとな、と思った矢先。
「ぐぅー……」
(……もう少しぐらい、食べても大丈夫……だろう)
今日ぐらいはという意識もあってか、私は再び食事を再開することにした。
料理をどんどんと平らげ、ボタンが全て吹き飛んだことも露知らず、私は最後のテーブル料理が無くなるまで食べ続けた。
そしてダロンさんと私のコンビネーションによって、私達は会場に残った全ての料理を一つ残らず平らげることに成功した。
その代償に、私達の体には大きく膨れたお腹が築き上げられた。もはや着ているタキシードなど、自らを扼す道具でしかなかった。
私は、限界まであらゆる食べ物を飲み込んだ自らの腹を休ませるため、どしんと椅子に座り込んだ。
食べ物で満杯になったお腹は、まるで巨大な肉のボールのようであり、それは私の足を完全に隠すほどであった。
私はそれを手でさすって見た。その感じは、もはや皮膚が強張るほどに膨れていることが感じ取れた。
そして私の隣に座っているダロンさんはというと――腹の大きさが尋常でない!
あまりに膨らみきったお腹は、彼の身長とほぼ同等の直径を持つ巨大なボールで、それを地面が何とか支えている状態だった。
「ふぅー……ひっさびさに食ったな。こう満足すると、正直肉塊竜まで一直線何だが――やはりこの感覚は中毒になっちまうよ」
「そうですね……私も、こんなに良い気持ちになったのは初めてです」
「ほぉー、そうかそうか。良かったじゃないか、記念日をこういう気分で過ごせるんだからな」
その時、遠くで妻であるエルの声が聞こえた。
「貴方! そろそろ帰る時間だよ。早く戻って来て!」
「……行きますか?」
「そうだな、もう行くとするか」
私とダロンさん、巨大な腹を抱えるこの二人は、ぶよぶよとした脚で何とか腰を持ち上げ、砂漠化したパーティー会場を後にした。
そして互いに大きくなったお腹を軽快に揺らしながら、私達は自らの帰る場所へと向かって行った。



――そして、月日は流れた――



”カルボナール農園”
そう刻まれた大陸鉄道オービス沿いに広がる広大な農地。ここはフラーとその妻エルが所有する、かの有名な農地なのだ。
フラーの、スフィアでの知識を活かした新肥料は正に奇跡の産物だった。
それは四期作農業を可能にし、ベクタにこれまで以上の食糧生産量を齎し 彼はたちまちベクタの有名竜となった。
そしてもう一つ、言及しなければならない伝説がここにある。それは彼が、ベクタに初めて教育機関を配置したことだ。
元々教育機関が存在しなかったベクタに、彼は自らが校長を勤める学校を設立したのだ。
それは一般的な学校とはかなりかけ離れてはいるが、それでも彼が成し遂げたことは偉業であった。
そして今、この学校、カルボナール校では、計何百もの竜を教育している。
この数字は普通に考えれば少ないかも知れないが、ここはベクタ、この数字をベクタの大きさで換算すると十分過ぎる人数なのだ。
だからこそ、このフラーの偉業は言わずとも素晴らしいものなのである。

ちょうど今、カルボナール校では始業式が幕を開けようとしている最中だった。
「皆さん、静かに! 今から、校長先生が入学の賛辞を呈します。心して聞くように!」
舞台脇から、のしのしと巨体を揺らせてとある一人の竜が出てきた。その竜は、大仰に見える歩き方をしながら演台の前に立った。
「初めまして。私がこの学校の校長、カルボナール・フラーです。そして、こちらにいるのが――」
と、フラーは壇上の端にいる妻のエルを示した。
「この学校の教頭であり、かつ私の妻、エル先生です」
「初めまして。あたしがエル・ソフィアです。今日からみんなの助け舟となりますので、よろしくお願いします」
「今日、皆さんがこの学校に入学してくださって、私はとても感謝しております――」
そしてつらつらと校長お決まりの長台詞を言い終え、在学生による校歌斉唱を歌い終え、ようやく入学式は終わった。

「なあ、エル?」
「何、貴方?」
「私は君と結婚出来て、こうやって一緒に生活出来てとても幸せだ。もしあの時君と出会わなかったら、畑を貸してくれなかったら――」
「何言ってるの、それはあたしも同じよ。あなたと会えなかったら、きっとあたしは今頃普通のベクタ竜になってたわ」
「……そうだね、エル。君がいてくれて、本当に助かったよ」
「お互い様よ。また一年、よろしくお願いね」
「あぁ、任せてくれ。それと――」
フラーは自らの脚を隠す、大きく突き出てお腹を手でポンっと叩いた。そしてそれにつられて、弛んだ二の腕が軽く揺れた。
「――最近、私はまた太ってないか?」
「ふふ……あなたは四六時中太ってるように見えるわよ?」
「は、はは……確かに一日中何かしら食べてるけど、だからと言ってそれはないんじゃないかな?」
「だって本当のことなんだもの。……だけど、何故かあなたのそういうところが好き……」
「――! や、止めたまえ……照れてしまうよ……」
「嫌よ。あなたをからかうの、面白いんだもの」
「全く、あれからずっと変わってないな、エルは」
「そういうあなたも、ずっと変わってないわ。雰囲気や見た目は違えども、あなたはずっとあなたよ」
「まあな」
「……じゃあ、あたしはホームルームに行くから――また早弁なんてしないでよ?」
「さぁて、それはどうだろうね?」
「もう、貴方ったら……」
ここでエルは自身が担当する教室へ、フラーは校長室へと向かった。

フラーが校長室に着くと、そこのテーブルには既に山積みにされた弁当が置かれていた。
私はもう、完全にベクタのペースに馴染んでいた。しかもそれは問題ではない。
色々と理由はあるが、その中でも最も大きな理由は、今の私にはとても誇りに思える妻、大好きなエルの存在があるからだ!



     THE END



     (※本来のベクタには、教育機関はありません。
       つまりこの小説は、あくまでもドラゴルーナを舞台にした”もしも”ストーリーということになります。
       リアルドラゴルーナと混同して困惑されるかも知れませんが、そこら辺はご了承ください)


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